奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

ニチアサの時間帯変更

神無月だ、今日から(ここは出雲ではないので)。

 

 

今月から、ニチアサの時間帯が大幅に変わると聞いていた。

先月で、7:00からやっていた「ヘボット」が丁度一年4クールで終了し、8:30まで報道番組がスタートした。よって、順番が「プリキュア」を軸に反転したようになり、

 

8:30~「プリキュア

9:00~「仮面ライダー

9:30~「スーパー戦隊

 

と相成った訳である。

時間録画予約を確認してみたら、一種間前にはまだ地デジの時間表に反映していなかったのか、予約自体が消えていた。危なかった。

10月の番組改正に合わせてのことなのだろうが、東映にしてみれば、丁度裏番組で「ドラゴンボール超」や「ONE PIECE」が放送している時間帯と丸被りすることになる。大丈夫なのだろうか視聴率と、別に業界関係者でもないのに、ちょっと心配してしまうのは、要らぬことだろう。フジの方は観ていないんだ。御免。

備忘録的と云うか、事後報告的な記事だが、各番組の感想はまた機会と書く気があったら。今月は「プリキュア」の映画も公開予定で、秋はプリキュアシーズンである。新聞も出るのかな。今回のゆかりの個人回も面白かったけれども、次回のあおいとひまりんの、もう友達を通り越した関係にしか見えない回も、楽しみで仕方ないよ。

 

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モダン・ホラーの帝王生誕祭

九月は、古語で何と云いましたっけ?

皆さん御機嫌よう。偏頭痛が酷かったり、数箇月に亙って咳に悩まされたりしていて、それでも否応なく日常の波は襲ってくるので、それを辛うじて避ける毎日、皆様は如何お過ごしでしょうか?

もう九月も終わりだ。中々コンスタントに更新出来ないのは、自分の懶惰さにあるのだが、まァ飽くまで個人的なブログなので許したい、自分を。

世間は悪い文明だから粉砕すべし。とか、「オーノー、キラッと閃かない」とか云っているこの頃だが、自分以上に、この期に及んで内外問わず問題山積の状態であるにも係わらず、解散総選挙を選択したりする与党がいたりと、周りは自分以上にクレイジーな様相を呈している気がする。他に投票する所がないから——と云う極めて消極的な行為で、某与党が集票するのは果たして如何なものか。まだ蓋を開けてみなければ結果は判らないけれども。

 

 

シロウトの身の丈以上な政治的ボヤきは措いておくとして、来る9月21日は、スティーヴン・キングの生誕祭らしい。大体自分の父親と同じ世代だ。それでも毎年コンスタントに新刊が出るのは凄い。緑内障を患っているらしいが、それでもここ数年、『デュマ・キー』から見ていてもかなりのヴォリュームのものが刊行されている。『ドクター・スリープ』、『ミスター・メルセデス』も上下巻だ。

しかしながら、自分はキングの近作の熱心な読者ではない。お気に入りは 不評絶版(新刊でないことが不評と云う意味で)の『ファイア・スターター』であるし、それとは別に傑作は『セイラムズ・ロット』だと思っている。

そうは云っても、「ダーク・タワー」シリーズが愈々映画化と聞いて、角川文庫から新装版として刊行されている件のシリーズは購入中だ。新潮文庫で持っていたが、以前にも書いただろうか、引越しの際に売ってしまって大変後悔している。原書のペイパー・バックに添えられた挿絵が、素敵だったからだ。

その角川文庫版も、残す所、後1パート『暗黒の塔』だけだ。

超技術文明が滅んだ後、再び中間世界を統一した偉大なるアーサー・エルド(ペンドラゴンではないよ)王の正統なる子孫、最後のガンスリンガーであるローランド・デスチェインの、黒衣の男を追うことを端緒とした暗黒の塔への旅路は、如何なる結末を迎えるのか。そして、塔に鎮座する深紅の王——クリムゾン・キング(バンド名でもスタンド名でもないよ)モルドレットとの対決の行方は……?

と、 超流感で人口が減り、荒廃したアメリカも斯くやと云った中間世界と終焉世界を中心に、孤独な拳銃使いは仲間を得、そして失い、塔を目指す。それが、彼の運命だからだ。

そして、本を再読する度に、そうした永劫に続く輪廻のような、或いは無間地獄とさえ思われるような暗黒の旅路に読者もまた同伴することになる。それは、荒廃した世界にありながらも、悪夢的で魅力的な行程だ。

輝ける悪夢こそが、キングの持つ虚構の力であり、フィクションの魔法なのだ。そして読者は、キングを含め、そうした幾多のマーリンの所業に餓え、それを求めて、再び本を読み始めるのである。

読書の或る面は、人生を豊かにするものではない。それは個人の裏側を照らし、魅了し、それなくしては生きてゆけなくなる極めて依存度の高いものである。

その暗闇の先、角を曲がった所にどんな夢魔が待っていようとも、怯みながら、時にそれを期待して、我々は頁を捲る。それは現世を正常に生きる者の行いではない。

大いなる嘘の中にこそ、我々の最大限の人生の目的があるのだ。

 

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脳内ポジティヴ物質だだ漏れの曲紹介——或いは今更のアニソン所感

現代は悪い文明! 粉砕する!

と、日々気焔を上げている今日この頃、皆さん如何お過ごしでしょうか ?

お察しの通り、不肖小生は碌な人生を過ごしていない気がしなりません。 自分自身の主観に帰結する、錯覚か何かだと思いたいのですが、しかしそう思う根拠もありません。やれやれ。

 

と云う訳で、世知辛い、ばかりの世を、世知辛く生きるのには誰しも疲弊するものなので、最近脳内再生率のヤバい曲を紹介して、今回はお茶を濁したいと思います。

どちらも今更——今となっては有名なものなので、別にここで紹介されてなても……とお思いの方もいらっしゃるやも知れませんが、お付き合い下さい。

 

オーイシマサヨシと云えば、アニメ「月刊少女野崎くん」のOPだが、上の作詞作曲も行っていると最近しった。自動車を運転している最中は、音楽やラジオを聴かないのだが、その最中にずっと脳内再生されている。正にオーディオ要らずだ。ずっと聴いていると、脳髄から何か変なものが分泌されてだだ漏れているんじゃあないかと妙にハイな気持ちになるのだが、最近のアニメソングや、今までのシンガーソングライターとしての経験と知識、技術を動員した結果なのだろう。 ニコ生で流していたご本人の弾き語りも、口からCD音源の異名を感じるくらい素晴らしかったよ。

あ、「けものフレンズ」はこの記事を書いている時点で観てはいないのだけれどね。

もう一曲は、「キラキラ☆プリキュアアラモード」の二期エンディングテーマ「シュビドゥビ☆スイーツタイム」だ。今回も引き続き、まこぴーこと宮本佳那子が歌う。色々な所で云っているが、特にフルで聴くと明らかにキッズが歌うには難易度が高い。自分が歌うのにも高過ぎる。しかし、現代のキッズは、時に何でも年長者顔負けでこなすので、案外愉しく巧く、歌い、且つ踊ってくれるのかも知れない。頑張れキッズ。心の中で応援してる。

これもまた、脳内からポジティヴ物質が分泌される曲だ。CDまで買ってしまったものだがら、テレヴィサイズ版だけでなく、ほぼ毎日フルサイズが自分のヘッドフォンから流れている。それも際限なく。寝る前の子守唄等には、無論ならない。テンションだだ上がりである。自分もステージの周辺で、心のミラクルライトを振っているよ。映画じゃあないけれどな。

……と、若干情緒不安定気味に紹介した。二曲とも著名なので今更感が漂うが、しかし動画を埋め込む方法も憶えたので、収穫はあったし、良しとしたい。些か苦言めいたことを云うなら、「キラキラ☆プリキュアアラモード」のOPムーヴィでもう少し新キャラのキュアパルフェを巧く組み込めなかったかと思う。しかし、駒形さんの歌うOPが相も変わらず、EDに負けず名曲なのは変わりない。

音楽にも人一倍疎いが、世の皆さん、大したことのない日常だが(←失礼なこと云って御免)、アドレナリンだか、エンドルフィンだかが出る曲を聴いて、別世界に一時でもトリップしてみては如何だろうか。それが案外、現実を豊かにしてくれることに繋がるかも知れない。 そしてそれは、全てのフィクションにも共通する魔法だ。

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日記とブログ——「ほぼ日手帳2018」発売を前に

学生の頃は、特段手帳は使わなかった。当時はまだ、今で云うガラケーフィーチャーフォンばかりだったし、海外ブランドの携帯電話と云ったらノキアが上がる時代だったので、携帯端末でスケジュール管理をしていた人も周りにはいなかった。

大学生になっても、カリキュラムは毎週決まっているし、テスト期間中は、キャンパス内の掲示板に日程が貼り出されている。アルバイト先からはシフト表が配布されるので、出勤日はそれで確認すれば良い。また、友人関係は少ないので、プライヴェートの案件も暗記出来る程度に僅少だった。

 

社会人の真似事をするようになってからか、何時の間にか手帳を持つようになった。ほぼ同時にスマートフォンも使うようになる。iPhone5が最初だ。AppStpreのカテゴリー「仕事効率化」が好きなので、気に入ったものを購入することになる。googleカレンダーiPhoneのタスクと同期させ色々試しているが、未だトライアルの最中だ。

 

手帳は本来なら携帯するものなのだろうが、しかし自分は主に日記として利用している。日記は以前も書こうとしたことがあるが、だがいずれも三日坊主に終わってしまっていた。ところが、手帳に日記を書くようになってから、既に三年以上継続している。

 

その手帳とは、ご存知の方も多いだろう、「ほぼ日手帳」だ。

「ほぼ日手帳2018」よこくカレンダー - ほぼ日刊イトイ新聞 このエントリーをはてなブックマークに追加

 

頁面積が大きい方が書き易いと思い、ここ数年はずっとオリジナルよりも広いカズンを使用中だ。一日一頁という編集も、日記として使い勝手が良い所以だろう。但し一日分の頁しか主に使っていないので、始めの方にある見開きのマンスリーや、時間順のヴァーティカル等の頁が白紙の儘なのは、勿体無い所だ。別段全ての頁に何か書かなければならない道理もないのだけれども。

 

日記とは云っても、ほぼ感想や意見めいたものはない。記憶を頼りにして今日一日何をしていたかの記録を取っているのが主だ。時々読んだ本や観た映画等の感想じみたものも書いたりもする。後、チケットや半券を貼付するくらいだ。

日記を始めとした記録の醍醐味の一つは、過去のものを読み返すことにある。しかしそれも余りしない。家計簿は別に付けているので、日記に一元化もしていない。流感に罹った時等は、朝昼晩と体温を記録していたりもしたが、それは特例的なノートだ。それも含めて、自分にとってその時々のことが特筆されているのだろうと、こうして振り返ってみると改めて思う。絵心もないので、イラストでカラフルな感じもしない。Jetstream0.5mmのブルーインクで、それが切れたら取り敢えずブラックインクで文字だけを書いているので、一年経っても大変地味な出来になる。「自分らしさ」とか「個性」とかは、凡庸で手垢の付いた感じがするので遣うのが躊躇われる語彙だが、そうした地味さこそが、自分自身の毎日=日常を端的に表している気がしないでもない。

 

人がブログを書く目的は様々で、中にはダイアリーとして書く方々もいらっしゃることだろう。そんな素養も実力もないので、 このブログがエンタテインメント的なコンテンツになろう筈もないが、しかし日記を別にしているので、このブログは単なる個人t系なダイアリーではなく、公開しても、まァ多少は愉しんで頂けるようなものにしてゆきたいとは一寸は思っている。

文章は、書き付ける対象によってその種類が異なるのは、或る意味当然のことだ。日記として使用している「ほぼ日手帳」を他者に披露することはその性質上ないだろう。それがこのブログとの大きな違いである。矢張り個人的に書き、読むだけのものと、少なくとも他者に閲覧されることを意識したものとは明らかに書き手側の心持ちも異なるものだ。何か今回は、よくよく当たり前のことを書いているなァ。反省。

 

九月になれば、「ほぼ日手帳」の来年版が発売される。まァそれに肖っての投稿なのだ。予定管理には「ほぼ日weekly」を使用している。坂本真綾とコラボしたものが欲しいなァと思っているのは内緒だ。書いちゃったけれども。

新しいものは、手に入れば気持ちいいものだ。それにここ数年継続しきた習慣なので、よくよくのことがなければ来年も日記を書き続けるだろう。それは単に日常の行動記録に過ぎないが、書くことは読むことと同じく生きることだ。

 

そうは云っても、今年もあと四箇月程だ。来年も皆さんにとって良い年でありますように。またそれまで、お互い良い本を沢山読み、可能な限り有能な人間でありたいものだ。

 

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お盆の始まり——或いは実写版「ダイヤモンドは砕けない第一章」感想

お盆の初日だ。若しかしたら、引き続き夏休みかも知れないし、明日からお仕事の方もいるやも知れない。本日お仕事だった方もいることだ。皆ぞれぞれお身体には気を付けられたい。

 

 

カレンダー通りの三連休だったが、迎え盆で墓参をした位で、特段の外出等もしていない。自宅でのんびりと云っても、日中は大変な酷暑で、午睡しているだけで熱中症になってしまいそうだ。

 

11日の金曜日に、先日公開した実写版「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない第一章」を観た。

格段の期待も持たずに行った為か、特にネガティヴな印象はそう大きくは抱かなかった。只、もう原作連載当時からして、荒木先生も意識していたことだそうだが、ああした二世代位前の如何にもな不良的キャラクターを演じられる役者は、もういないのではと思ってしまう。無論、東方仗助は、リーゼントヘアなだけでそれ以上に不良ですという設定はされていない。また、原作漫画でも既に当時はリーゼントは古いとされていたと原作者も漫画文庫版のあとがきで書いていた。なので、時代錯誤は原作にすでにあったのだが、しかしその言動は一時期を席巻した不良漫画のキャラクターを髣髴とさせる。時代が原作連載当時からも十年以上経ってしまったので、そうした不良を演じるのは、役者としても難しいのかも知れない。

嘗て黒澤明が時代劇を撮らなくなった頃、その理由を訊かれ、「侍の顔をした日本人がもういない」と話したらしいが、今は昔の不良も既に遠くなりにけりなのかも知れない。

 

しかし、CGを用いたスタンドバトルは、結構迫力があって、楽しめた。また、最初の敵である片桐安十郎も、山田孝之の好演で、不気味さと不敵さを出している。神木隆之介演じる広瀬康一も安定していたし、空条承太郎役の伊勢谷友介もがたいは兎も角、長身と渋さと、若干の若々しさがあって良かった。が、承太郎のトレードマークである 後頭部が髪と一体化した帽子までは表現しなくとも良かったのではないかと思ってしまった。普通に被っていれば良かったのに……。

 

ストーリィは、大分コンパクトになる予感がする。杉本鈴美や吉良吉影登場のほのめかしはあったが、正直露伴先生とか出てくるのか、かなり微妙だなと感じた。続報も出ると思うので、気になる方はお待ち下さい。

総じて高評価と云う訳でもないが、低評価とも思わなかったが、正直に云うと第二章観に行くかどうか未定だなと思ってしまったことが、自分がこの映画に対してどう評価してしまったかを無意識に物語っているのかも知れない。

自分の心こそ、不明だ。

 

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ヒーローの説得力

先週から公開されている「キュウレンジャー・エグゼイド」の映画を、公開当日に観てきた。ヒーロー二本立てで約90分だ。

仮面ライダーエグゼイド」は、副題で「トゥルー・エンディング」と銘打っていて話題になっていたが、確かにその通りだった。別段ネタバレと云う程でもないのだが、余りそこに言及することは控えてく。

 

春の映画でもそうだったが、「エグゼイド」は今回の事件の中核には、子供がいる。それは未就学児をメイン視聴者にした番組だから当然と云えば当然なのだが、今回の舞台が病院で、主人公達がドクターと云うこともあり、中々困難な病気を抱えている子供と云う設定が共通していた。

 

以前、「映画ハピネスチャージプリキュア!」を観た時も、同じような境遇の子供がゲストとして登場しおり、事件の深い要因となっていたことを思い出す。

彼等彼女等は、実のところ仮面ライダープリキュアがどれだけ強くても、それだけでは救うことが出来ない存在である。

「エグゼイド」の子供ゲストは、バグスター感染症であると同時に脳腫瘍を抱えているし、「ハピネスチャージ」のつむぎは、脚が動かず、バレリーナの夢を諦めなければならなかった。

無論、物語——と云うか番組のコンセプト上、ライダーやプリキュアが腕力に物を云わせて戦うことにより、救われる。それは、脚本がそうなっているからと云えばそれまでなのだが、その解決に説得力を持たせることは容易ではない筈だ。

自分達が幾ら腕っ節が強くとも、救えない——それはヒーローとしてのアイデンティティすら脅かしかねない。しかし、ヒーロー達は、真にヒーローであるが故にそれ等の困難を乗り越えてゆく。見せ場も盛り込んだ上で、ご都合主義に堕していることはない。

特に、「エグゼイド」は主人公がドクターとして生命の大切さを説きながら、死んだと思っていた人間が、バグスターとして蘇ると云う離れ業を物語の設定として持ってきている。これは、一歩間違えれば白けてしまう危険さえある。ストーリィの面白さと共に、その上で生命の掛け替えのなさと死への恐怖を同じ比重で描くことが相俟って、そうした設定を持ってきても説得力を備えているのだろう。

それは、映画にも共通することで、問題の原因となっている敵を鉄拳で粉砕するだけでなく、問題を抱えている子供ゲストの心も救わなければ解決しない。ゲストキャラの心に届く行いと言葉でその心を救わなければ全く解決しないように、同時に視聴者に対しても同じ説得力を持って訴え掛けなければ単なるご都合主義になってしまうのだ。

 

ヒーローも万能ではない。そして腕力が強くても解決出来ない問題は実際にも山のように存在する。しかし、それに臆することなく、立ち向かうこと、そして乗り越えること、それがヒーローのヒーローたる条件である。

同時に、それは視聴者に説得力を持ったメッセージやストーリィを伝えることと同義なのだ。

 

「エグゼイド」も今月で終わりである。明らかに真のラスボスに相応しい奴も登場し、派手なバトルは勿論のこと、要所要所を盛り上げる、上述したような説得力のある緻密なドラマにも期待したい。

 

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感情ではなく孤独が人間の証明

嗚呼、前にこのブログを更新してから、早一月以上が経つのだなァ……。

皆さん、酷暑と突発的局地的豪雨の中、如何お過ごしでしょうか。被災された方々には、お見舞い申し上げます。昨年は、実家付近でも水が出、道路が冠水し、自身も消防団として出動する事態になった。

四川省の観光地では地震も起き、自然相手とは云え、被害の甚大さには心が痛む。避難はそこに住む人々の生活を一変させることだし、復興と云うものの大変さも、我々は二つの震災から既に学んでいる筈だ。

 

個人的には、ここ一箇月程で特段の変化はない。そうそう変化等あっては困りものだが、変化というのは、先に触れた災害は無論のこと、ある時は突然に、またあるときは徐々にやってきていて、気が付いたら変わっていたと幾パターンもあるものだ。今の所、自分への変化があるとしたら、後者なのだろう。その変化の行く先が、幸か不幸か、吉が凶かは神のみぞ知るのだが。

 

先月、丁度一年程前から出席させて貰っている読書会「やつはみ喫茶読書会」へと参加してきた。課題本はフィリップ・K・ディックアンドロイドは電気羊の夢を見るか』(浅倉久志訳、ハヤカワSF文庫)。

1982年に「ブレードランナー」として映画化もしており、その続編が近日公開なのだという。その為か、NHKBSプレミアムで「ファイナル・カット」が放送されたので、タイミング良く観る機会を得た。その上での参加である。

ディックとは自分にとって、「俺、本格ミステリのファンだけれども、ディクスンの『ユダの窓』って、まだ読んだことないんだ実は」と云った感じの作家だ。よって、課題本の『アンドロ羊』を読んだのもかなり最近のことである。

ディック作品自体は、近年でも散発的にハリウッドで映画化がされている。それに伴って版権を持つ早川書房等が新装版や新たな短編集を編んで刊行していた。

そんな中、 数年前に『ヴァリス』の新訳が出ると(自分の周辺で一部)話題になった。

ヴァリス』とは、著者がドラッグだかアルコホオルだか、新興宗教に嵌っている状態で書いた、一行読んでも三行戻らないと判らないと曰く付きの作品で、これは読まねばと感じたものだ。

偶々当時参加していた別な読書会で次回の課題本候補に挙がったが、結局違うものになったことも懐かしい。

ヴァリス』に次いで、それに続く『ディヴァイン・インヴェイジョン』等が新訳で出版され、S-Fマガジンではディック総選挙なる人気投票も行われた。亡くなって尚、この国でもディックの人気、そしてリーダビリティは健在だと云うことだろう。

 

『アンドロ羊』では、純粋な生物であれ、電気仕掛けの動物であれ、そして最新型のアンドロイドであれ、それ等に対する感情移入ということがメイン・テーマの一つとなっている。

しかし、本格ミステリの探偵役に顕著だが、感情に乏しいキャラクターというのは、余り珍しものではなくなってしまった感がある。「感情移入」がある種の人間性を、また過言するならば人間の優位性を担保すると云うのは、感情の乏しいそうしたキャラクターの氾濫で、特別なもののようには感じられなかった。

では、何処に自分は注目したか。

それは、後半でアンドロイド達によって贋物だと暴かれた宗教「マーサー教」である。

どうしても『ヴァリス』に引っ張られてしまう所為なのだろう。「感情移入」や所謂神秘体験とは、限りなく個人的な体験である。そして、 それ等個人的な体験を、共有させる。若しくは共同幻想化させるのが宗教である。主人公のデッカードもまた、マーサーの苦行を追体験する。それが幻想なのか現実なのかは不明の儘だが、そうした本来他者と共有出来ない個人的な体験を共有すること——それが「感情移入」のその先であり、宗教の機能だ。

アンドロイドは「感情移入」しない。電子回路に不調がない限り神秘体験もないし、あったとしても神秘体験だとは捉えないであろう。だが感情はある。寂しさを感じもする。だが、孤独は感じるのだろうか。

人間はそれを感じる。そして孤独には耐えられない場合もある。それを解消する方法が「感情移入」であり宗教だ。

孤独と神秘を感じてしまう人間とそうでないアンドロイド、どちが優位というものでは無論、ない。感情を持つ限りなく人間に近いアンドロドと対比することで、人間の孤独さとその癒しとしての「感情移入」そして宗教の片鱗を描いたことで、『アンドロ羊』は、『ヴァリス』等の以後諸作へと続くテーマを内包しているのではないかと思われる。

 

夏は、しかしあっと云う間だ。自分もまた皆さんと同じように面白い本を沢山読み、出来る限り有能な人間であるようにいたいものだ。

 

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