奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

 墓場まで続けられたなら……

Mars Editから書き出そうと思ったが、連携が巧く出来ていないようで、書き掛けた記事が消えてしまった。

全く幸先の良い(?)スタートである。

ブログには何度もトライしたが、どれもそう長くは続かなかった。しかし紙の日記は今の所幾年か続いている。紙だけでなく、デジタルでも何か纏まった日々の記録が残せないかと思って、また性懲りも無くブログと云う手段を取った。

ログ収集と云う個人目的と、これを読む——方が若しいらっしゃるならば——方の暇潰しに同時に役に立てたのなら、斯くも嬉しいことはない。有用なものは常に複数の効用を備えているものだ。

とは云え、日々を漫然と生きている 管理者ー僕にとっては、今日印象に残ったことを、記憶の中から引っ張り出してくるのも難しい。と云うか億劫だ。

なので、最近読み始めた本を少しご紹介したい。 読書は趣味ではなく習慣なので、常に何らか読んではいるが、昨日から山田風太郎『魔群の通過』を読み始めた。

盆の最中、地元で水戸天狗党に扮して練り歩くと云う行事がある。それを好機と思い、思い立って読んでみることにした。山風は、最近せがわまさき『十ー忍法魔界転生』第六巻を読んで以来、今年になってからは久しい。あれだけ愛読者を自認しているにも係わらず、恥ずかしいことだ。

それが読み終わったら、吉村昭『天狗争乱』も予定に入れている。盆の行事までに両書とも読了したいが、特に読むのも早くはないので、目的を達成出来るかは不明だが、今は夏休みシーズン。計画は立てている時が一番愉しいと云うものだ。

その計画ではないが、こうした取り留めもない《雑感》をよしなしに書いてゆこうと思う。それが無意味だとは云わない。単なる多様でしかない種々の表象を、有意味なものへと変えるのは、言葉であり、文章と云う形式を当てがった時だからだ。

だからと云って、拙ブログが有益とまでは云わないが……。

兎にも角にも、極東のこの世の片隅、深夜の底の底の、無底の淵のような場所で、無為な時間を求めている奇特な方がいるのならば、きっと寝しなの友くらいにはなれるよう努力したい。

無論、こうだらだらと書いている管理者ー僕は、既に一寸愉しいのだ。