奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

ヒロシマ原爆投下70年目

暑日が続いている所為か、身心共に何処か不調な感じがするのは、僕だけではあるまい。皆様、御自愛頂きたい。

昨日6日は、広島の原爆投下70年目だった。戦争を語る世代もこの世からあちらへ移行し、また、原爆の被曝世代も益々少なくなっている中で、それをどう語り継ぎ、受け継いでゆくかは、近年毎年のように議題に上る。

複雑な近代の、その残酷性を冷静な事実として受け止め、知っておくのは、単なる猟奇趣味と異なった、確乎たる歴史的視点だろう。

例えば、第一次世界大戦で大きく展開された塹壕戦。その塹壕における、毒ガスや機関銃の連続射撃における人間の無残な死であり、その死の集積たるゴミ山のような屍体の山である。

また、それはアウチュヴィッツであり、或いはラーゲリであり、中国人捕虜への人体実験であり、そしてヒロシマナガサキだ。

この残酷さこそ、非人道的と形容され、一瞬にして大量な命を奪うことの出来る事実こそ、近現代を一つの面で象徴しているのではないか。

日本の長寿貧困社会の問題に日々直面している人々 ——僕もその一員である——にとって、そうした大量の、簡単な死は、実感がないかもしれない。その実感を補うものが、想像力である。

経験者の言葉、或いは資料により語り継がれる事実を受け止め、それに対して想像を巡らし、追体験的に《実感》することによって、我々はそれを直接に経験していなくとも、悲惨な歴史を極力風化させず、また、将来への礎とすることが出来るのではないかと思う。