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奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

転換点の一日ーー『日本のいちばん長い日』感想

昨日で、半藤一利著『日本のいちばん長い日』を読了した。

丁度一週間前、公開中の映画を観たので、どうしても比較してしまう。映画の感想は以前の記事を参考にして下さい。

本書のプロローグは、ポツダム宣言が交付された箇所から始まる。それに回答期日が切られていないこと、またソ連の署名がないこと(この時点で、ソ連はまだ日本に宣戦布告していない)から、最後通牒とは見なさず、時の鈴木内閣は「静観」または「黙殺」を決め込む。

しかし、その判断遅延が、その後の二つの原子爆弾の投下、そしてソ連参戦といった事態を招き、急激に戦争終結へと混乱的に鈴木内閣はその託された任務を遂行してゆくこととなる。

本章では、各章一時間毎に区切って、その間の出来事が羅列的に述べられている。一人の人物、若しくは一つの集団の動きのみを追った記述の仕方ではないが、それでも多面的、多角的に、その時その時に、何処で、何が、誰によって起こっていたのかを、臨場感と共に、俯瞰的に把握することが出来る。

こうした書き方は、ともすると読者に、何が起こっているのか混乱を与えかねないのかも知れないが、読んでいてそうした不自由を感じることはなかった。表現も完結は上に、章の区切れも約一時間単位と比較的短いからだろう。

この、読み手側に俯瞰的に把握させることと、臨場感を与えることは、一見相反し、両立が難しい書き方のような気がする。前者に偏り過ぎれば概略説明的な無味乾燥な記述になってしまうし、後者に傾き過ぎれば、視野は狭められ、特定の部分に過度な感情移入をしてしまうことになり、物事を公平かつ客観的に見ることが出来なくなる。無論、仮令ドキュメンタリーであっても、それを読むもの、そして書くものの思考だけでなく、何某かの感情をも触発するのであるが、優れたドキュメンタリーは両者のバランスが巧く釣り合っているのだろう。

鈴木内閣の閣僚、天皇を中心とした宮城の侍従、軍の各方面、青年将校、新聞記者に放送局員と、この一日において幾人もの人生が交錯し、そして転換してゆく。国体護持を何としても確保すると云う、当時絶対のものとされていたメンタリティも、常に繰り返され、それが戦前の軍事的教育の為したところ であることを改めて認識する。

戦争で実際に血を流し、無残に死んでいった、兵士、原爆被曝者、国内の窮乏者の姿は本書のテーマ上描かれることはないが、歴史の大転換の一日の背後には、当然そうした多くの命が経験した地獄が、あったことを忘れてはならない。

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