奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

休日と読書

終日雨が降ったり止んだりだった。

休日だと、家の掃除だとか草むしりだとかしか特段することもないし、外には天候的に出られないから草むしりは出来ないので、終日家にいた。

お蔭で、と云うか、読み掛けであった本が二冊も読めた。半藤一利『日本のいちばん長い日』(文春文庫)と、山田風太郎『魔群の通過』(ちくま文庫)である。

前者については既にこのブログにも感想を書いた。後者については、また今度機会があれば感想を書きたい。

よく読書が趣味のように訊かれるが、自分にとては別段趣味ではない。無論、それに対して金も時間も掛けているのであり、周囲から見たら趣味の範疇に這入るのやも知れないが、自分にとっては、そうした仰々しいものではないく、云うなれば習慣の一つだ。食事や睡眠と同じ(これらは多分に生命維持の生理的活動なのだが)レヴェルのものだと認識している。

そうは云っても、周囲からは奇異な眼でみられるのが落ちなのであるが……。

まァ、しかし、読書が愉しいのかと訊かれたら、そうだね詰まらなくはないよねと返す他はない。面白い本に出逢えれば興奮もするし、何だか元気にもなる。只文字が書いてだけ、更に云えば、紙にインクの染みが付いているだけのものに、ここまで熱中するなんて、我ながら不思議に思う。人間は意味を求めて止まない動物である。そして、意味は文字と云う表象で表される。インクの染みに意味を見出し、そこから何某かの感慨を呼び起こさせることは、何と人間的な営為であることかーー。

食事に装飾や作法、そして味や調理法を追求し、贅を尽くすのと同じくらい、否、それ以上に生きることに直接影響しないことにも係わらず、我々は様々に表象される意味に価値を見出し、愉しみを見出す。これが生活の中で習慣化されている限り、大袈裟に云えば、人間としての生活は、その実態は底辺であり、細々としながらも、何処かで精神的に担保されていると信じたい。

同じく人間的な営みとして、その正反対なものは無論、戦争である。そこにあるのは、文化の破壊であり、文字から意味を組み、感慨を催すこと、そして凡ゆるエンタテインメントを不可能にしてしまう、人生の精彩を奪う人間的行為に他ならない。

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