奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

「昭和の戦争」と「ポニョ」

抽象的で、主張めいたものも、結論めいたものもない文章を取り留めもなく書くのは、凡そやってはいけない表現だろう。詰まり何が云いたいの? と問われるのが落ちだし、それは真っ当な意見だ。

今日は何時になく歩いた所為か(勿論仕事でだが)、脚が疲れた。兎角運動を積極にすることはないし、今後もないと思われるので、体力がないのには自信がある。まァ、偶にはいいのだろう。10月の割に暑かったが。

本は、夏からこの方、井上寿一『昭和の戦争』(講談社現代新書)を読んでいる。複雑な状況が、個人の思惑を超えて、悲劇へと次第に突き進んでゆく様が、当事者達の日記から描かれる。文体はドキュメントに相応しく淡々としていて、それが否応なく現実を伝える。正に迫真である。章は真珠湾奇襲をし、アジア戦争、当時の日本の云う大東亜戦争へと突入した。

また、ここ数日、ドキュメントヴィデオの「ポニョはこうして生まれた」全5巻を漸く見終わった。宮さんにカメラを向けているだけで大抵は面白く観られるが、客観的に映しているのはいいが、宮さんの本音や意見の部分をもっと訊き方次第では様々に聞き出せたのではとイマイチなのが正直な感想である。それは「夢と狂気の王国」でも同じことが云えた。

 

と云う訳で、その延長で今日は「崖の上のポニョ」を視聴。劇場での視聴も含めて、幾度観たか判らない。初観の時から「ポニョ」は大袈裟ではなく腰が抜ける程凄い映画だと思った。ファンタジーとしてもだ。宮さんのイマジネイションは、正に一足跳びである。

また、ここに介護施設である「ひまわりの園」が出てくる。そこで車椅子で過ごしているお婆さん達の描かれ方が、今個人的に気になるある解答となっていることに最近気付いた。それについてはまた 機会を改めて書きたい。

フィクションとイマジネイションは、真実どうかは別にしてそれらは自由であると素朴に、そして心から信じたい。

 

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