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奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

新年の挨拶

年が改まった。

今回は、年末から例年にもまして、季節感を抱かなかった。クリスマスの時も同じだ。過去、特に子供の頃は、クリスマスや年末年始と云ったら、それ相応スペシャルな気分にもなっていたと思うが、旧年本年はそうでもない。歳を取った云うことなのか、それとも季節感自体が喪失しがちなのか……。

だが、それは別段寂しいことでも、悲しいことでも、況してや残念なことでもない気がする。それは多分、旧年は、顧みても、新しいことがあり、お世話になった人がいるからだろう。

 

或る所で、旧年印象に残った本として、平山夢明著『ダイナー』(ポプラ文庫)を上げたが、最後に読了した本は夏目漱石『門』だった。旧年本年は漱石イヤーらしく、岩波からも新たな全集が刊行予定らしい。全く結構なことだ。しかも、『門』の最後の 方は、年末年始に掛けての出来事なので、妙な同調もあった。実生活よりも寧ろ、宗助の生活に感情移入するように季節感を得ると云うのも、おかしなことだ。

『門』は、問題が何か解決した訳ではないが、そしてまた、宗助はその問題に対して、積極的な解決の為に能動的に対処しようとする行動的な主人公ではない。それでも事態は推移し、事は移り変わってゆく。それは人生が続く限りそうだ。仮令単に死なない為に生きているという消極的な生活であっても、何某かの出来事は、我々の上に降り掛かる。それは大江健三郎の云う「個人的な体験」なのかも知れないし、「人生の親戚」を伴うものかも知れない。

ともあれ、いずれにしても正面から相対するか、または両手で顔を覆っても、その中を突っ切るようにして遣り過すしかなく、回避することは出来ない。

そうしたことは、旧年もあり、そして本年もあることだろう。それが生活の一部だからだ。

 

何だか、何時ものように取り留めもなく、抽象的な話題になってしまったが、本年も、皆様が健康で、面白い本を沢山読み、その度に人生の哀歓を感じられるような年になることを、祈念申し上げます。

 

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