奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

読書と云う沃野

そう云えば、昨日はヴァレンタイン・デイだったそうだ。職場でチョコレイトを頂いたりと幸い無縁ではなかった。昔は甘いものが大好きで、それこそ吹き出物が出来る程食べたいと思った程だが、味覚や好みが変わったのか、チョコレイトが苦手になった訳ではないが、嘗て程積極的に食べたいとは思わなくなっていることに気付く。

それも、若しかしたら一過性のもので、数箇月後にはもそもそと買い喰いしているかも知れないが。

いずれにしても、味覚は獲得形質らしい。なので、初めは苦手なものでも、そればかり食べていると、慣れれて好きになるそうだ。好みが多い方が愉しみも多く、また可能性も広がるので越したことはないが、我が身を振り返ってみるに、アレルギー等ではなく、単に好き嫌いが多いことに気付く。例えば学校給食で苦労した思い出はないが、かと云って、現在苦手としているものを克服しようとまでは正直思わない。全く、自分勝手なものだ。

 

殊に喰わず嫌いは、読書においてもそうだ。別段、お金を払って本を購入するからと云って、所謂ハズレを引きたくないと云う訳ではないが、どうも気に入りの作家や、特定のジャンル小説ばかりに偏り、読書の分野うあジャンルを広げてゆこうとする意欲には乏しい。世の中には、フィクション、ノンフクション問わず様々な本が出ているので、手当たり次第読めばよいのに、例えば、現役作家等は敬遠しがちだ。

結局手許には、ドストエフスキーの『白痴』の翻訳が三種類も揃うことになる。

 

その打開策として、外部の読書会に参加するのは一つの有効な方法である。他者の決める課題図書は、そこでなければ決して手にしないものも少なくない。そして、それは得てして珠玉の一冊の場合も多々ある。

 

現実は、実のところ拡張することはない。まァ、多くの場合、袋小路の行き止まりだったりする。若しくは像の踏んだ御手洗団子みたいに、もう何処から手を着けたら良いのか判らなくなっているものだ。

しかし、読書生活は、契機さえあれば、次々に思わぬ出逢いへと発展してゆく。読書生活程、無限に広がっている沃野はないのだ。

 

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