奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

ヒーローの説得力

先週から公開されている「キュウレンジャー・エグゼイド」の映画を、公開当日に観てきた。ヒーロー二本立てで約90分だ。

仮面ライダーエグゼイド」は、副題で「トゥルー・エンディング」と銘打っていて話題になっていたが、確かにその通りだった。別段ネタバレと云う程でもないのだが、余りそこに言及することは控えてく。

 

春の映画でもそうだったが、「エグゼイド」は今回の事件の中核には、子供がいる。それは未就学児をメイン視聴者にした番組だから当然と云えば当然なのだが、今回の舞台が病院で、主人公達がドクターと云うこともあり、中々困難な病気を抱えている子供と云う設定が共通していた。

 

以前、「映画ハピネスチャージプリキュア!」を観た時も、同じような境遇の子供がゲストとして登場しおり、事件の深い要因となっていたことを思い出す。

彼等彼女等は、実のところ仮面ライダープリキュアがどれだけ強くても、それだけでは救うことが出来ない存在である。

「エグゼイド」の子供ゲストは、バグスター感染症であると同時に脳腫瘍を抱えているし、「ハピネスチャージ」のつむぎは、脚が動かず、バレリーナの夢を諦めなければならなかった。

無論、物語——と云うか番組のコンセプト上、ライダーやプリキュアが腕力に物を云わせて戦うことにより、救われる。それは、脚本がそうなっているからと云えばそれまでなのだが、その解決に説得力を持たせることは容易ではない筈だ。

自分達が幾ら腕っ節が強くとも、救えない——それはヒーローとしてのアイデンティティすら脅かしかねない。しかし、ヒーロー達は、真にヒーローであるが故にそれ等の困難を乗り越えてゆく。見せ場も盛り込んだ上で、ご都合主義に堕していることはない。

特に、「エグゼイド」は主人公がドクターとして生命の大切さを説きながら、死んだと思っていた人間が、バグスターとして蘇ると云う離れ業を物語の設定として持ってきている。これは、一歩間違えれば白けてしまう危険さえある。ストーリィの面白さと共に、その上で生命の掛け替えのなさと死への恐怖を同じ比重で描くことが相俟って、そうした設定を持ってきても説得力を備えているのだろう。

それは、映画にも共通することで、問題の原因となっている敵を鉄拳で粉砕するだけでなく、問題を抱えている子供ゲストの心も救わなければ解決しない。ゲストキャラの心に届く行いと言葉でその心を救わなければ全く解決しないように、同時に視聴者に対しても同じ説得力を持って訴え掛けなければ単なるご都合主義になってしまうのだ。

 

ヒーローも万能ではない。そして腕力が強くても解決出来ない問題は実際にも山のように存在する。しかし、それに臆することなく、立ち向かうこと、そして乗り越えること、それがヒーローのヒーローたる条件である。

同時に、それは視聴者に説得力を持ったメッセージやストーリィを伝えることと同義なのだ。

 

「エグゼイド」も今月で終わりである。明らかに真のラスボスに相応しい奴も登場し、派手なバトルは勿論のこと、要所要所を盛り上げる、上述したような説得力のある緻密なドラマにも期待したい。

 

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