奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

高畑勲のテレヴィ・アニメ

 今日付けの朝日新聞朝刊で、プリキュア特集が組まれたらしいが、拙宅は朝日新聞を購読していないし、朝コンビニ等へ買いに行くことも出来なかった。大変遺憾だが、また何処かでコピィさせて貰おう。

 週が始まったが、特段これと云ったことはなく、うかうかと過ごしている。うかうかと過ごしていれば、いずれその短さに気が付くのが、人生なのだろう。余り能く判りたくはないのだけれど。

 

 「キネマ旬報」今月号は、高畑勲追悼特集だった。幾人かの関係者にインタヴューした記事と、叶精二による論考が載せられている。インタヴューでは、個人的に東映動画時代の同僚である、池田宏と小田部羊一と云う同時代の語りが興味深かった。高畑は、東映動画初のテレヴィ向けアニメーション「狼少年ケン」に参加した世代である。テレヴィアニメ黎明期から携わった高畑は、その後映画に軸足を移して行くのは周知の通りだが、前出二人に加え、「ハイジ」にコンテで参加した富野由悠季等、テレヴィ時代の仕事を知り、評価する声は貴重に思える。雑誌が「キネマ旬法」でそれを載せると云うものまた意義があるように思われる。

 高畑の劇場初監督作品と云えば、「太陽の王子ホルスの大冒険」だ。それは、同時に東映動画に入社した宮﨑駿と組んだ作品でもある。先に三鷹の森ジブリ美術館で行われた「お別れ会」において、宮﨑の追悼の言葉は、高畑=パクさんと雨の日のバス停での初めての出会いで始まり、「ホルス」について触れていた。あの頃、自分たちは凄いことにをやっていると云う実感があったと語っていた。そこから推しても、東映動画でのパクさんとの出会い、そして「ホルス」への参加が、宮崎にとって如何に根元的な体験であったのかが知れる。

 映画監督としての業績は多々語られど、アニメ演出家としては、まだ一部の評価に留まるように思われる。関係者だけでなく、一般にもその驚異的演出が遡って感じられた時、高畑勲の名は、映画とアニメーション両方を越境して残っていくのかも知れない。順序が逆だが、それはインタヴューを寄せていた富野由悠季が、「ガンダム」以前に遡って評価されることと、一部似通っているように思う。

 高畑は、自身のリアリズムを「異化」と云った。それはロシア・フォルマリズムの用語であり、同じ時期に東大仏文科に在籍していた大江健三郎もまた、異化を自身の小説の技法として唱えている。それは同時代性であり、小説とアニメ=映画と表現は異なれど、或る世代の生み出した世界的藝術に通底してるものの一つなのだ。

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