奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

【創作】「白い猫の冒険」(仮)——1

 こんにちは。

 参加している文芸同人サークルにて小説を書いているので、その一部を投稿します。

 ご笑覧ください。

 白い猫

 僕達は白い猫を飼っていた。

 その猫がいつから僕達の住居に居着いたのかは今となっては僕には判らない。僕の同居人もまた判らないようだった。猫は既に我々の、特に僕の生活の一部になってしまっていて、餌の準備も、排泄物の掃除も、日々の運動の相手も僕の役目となっていた。

 猫は僕に対してしか鳴かないらしく、確かに僕が帰宅したり、同じ部屋にいたりすると微風のような鳴き声が聞こえてくる。それは、ともすると聞き逃してしまいがちだが、一度意識し始めると僕は猫の専従となってしまうのだった。

「猫は貴方にしか関心がないみたい」

 同居人はそう云った。

 猫が泣くのは、特に成獣となった猫が鳴く相手は、威嚇を除いて人間に対してだけだそうだ。それが生物としての年代を経て猫達が獲得した生存戦略であるらしい。幼獣の頃は親猫を呼ぶ為に鳴き声を上げるが、成獣同士であの人心を絆(ほだ)すような鳴き声は出さないと聞く。

 この白い猫にしてみれば、それはこの住まいでは僕に対してだけで、つまり猫はそもそも僕にしか懐いていないのだというのが、同居人の謂いなのである。

「わたしが餌を用意しても、多分食べないと思う。餌を用意したことはないけれど。猫は気紛れのようだと聞くけれど、自分の世話人を頑なに変えない側面があるよう。それともこの猫が特殊なのかも知れない」

 僕が猫の世話や遊び相手をしている様子を眺めながら、同居人はそう云った。

 彼女は小さな出版社勤務で、その会社は海外のマイナー作家の翻訳を主軸とした事業を行っている。同居人は毎日会社に出勤する必要はないようで、主にキッチンがその仕事場だった。食事の用意は二人が交互にしていたが、そうした時以外同居人はキッチンテーブルに資料を広げ、分厚く大判な辞書を置き、パソコンを開いて作業を黙々と行っている。そして、キッチンは猫が立ち入らない部屋でもあった。

「今翻訳している小説にも猫が出てくる」

 珈琲を淹れたマグカップを持って同居人は話し始めた。

「何て云う作家?」

 僕は猫の咽喉を撫でながら訊く。猫は顔を上げながら目を細めてじっとしていた。

「きっと知らないと思う。初めて翻訳されるから。多分本国でも忘れられた作家」

 リヴィングの椅子に坐って——そこが同居人の指定席だった——短く云いながら同居人は珈琲を啜った。同居人の言葉は一文が短く、それは当人の仕事にも反映されているようで、何度か当人の訳した文章——それは名前が表記されることがない下訳の場合が多いのだが——を原文と対比して読ませてもらったことがあるが、原文のセンテンスより短くなっている場合が多い。原文では一文であっても、翻訳は二文、またはそれ以上に分節化されていることが多いのだ。勿論、それで格段に読み易くなっていることは確かだ。

「言葉がなくても、音だけで意志が伝わるのなら、それが理想かも」

 同居人は不意に口にする。

「それは君の仕事を否定することになりかねない発言だね」

 僕は何気なく返す。

「そうかな。そうかも知れない。そうだね」

 彼女は呟くようにそう繰り返した。

 

 猫がいつから僕達の住まいに棲み着いたのか判らないように、僕達がいつから同居し始めたのかも僕には不明になっていた。勿論、ここでの僕達とは僕と同居人のことだ。同居する方が経済的だからと云う理由からだったかも知れない。しかし今でも僕達の生活レヴェルは変わっていない気がする。互いに仕事を持ち、自分自身を養ってゆける程度の収入はあった。それは同居人も同じだっただろう。しかし僕達は収入が僅かであるが上がり、また貯金が出来たからと云って別段今よりも他の住居へ引っ越すこともしていない。そういえばこの住まい——賃貸の集合住宅だ——に何年住んでいるかさえ曖昧だ。しかし生活とは、それが共同生活であったとしてもそう云うものではないだろうか。ふと振り返って、思い出そうとしても、何処かに記録はあるのかも知れないが記憶には上ってこない雑多な出来事の集積なのだ。そう云えば、僕達は共に写真を撮ったことさえなかったかも知れない。

「この猫、いつからいたのだっけ?」

 僕は同居人に尋ねた。

「猫についてはわたしよりも、貴方の方が詳しいでしょう」

 キッチンテーブルのパソコンから顔を上げ、同居人は答える。

「でも思い出せないな」

「貴方にわからないなら、わたしにも判らないよ」

 そして顔を再びパソコンの画面に戻す。モニタにはアルファベットが並び、赤字のマークが各所に入っている。

「それ、もう直ぐ校了するの?」

「そう」

 簡潔に同居人は答えた。

 紙の束がキッチンテーブルの上に乗っている。その多くが同居人の仕事が済めばゴミとして廃棄されてしまう物だ。

 白い猫は僕の手の中で、ゴロゴロと咽喉を鳴らしている。

 過ごしやすい気候だった。

 快適さに慣れると、人は変化を求めなくなる。また、深く絶望した者も無気力さ故に変化を厭う。

 いつの間にか確定してしまったかのような僕達の生活。

 いつからか当然のように棲み着いたこの白い猫。

 特段の理由や契機がなければ変化を求めない人間。

 リヴィングで猫を抱きながら、僕はこの快適な気候の中に、何だか曖昧な息苦しさを感じた。

 

 同居人の仕事がひと段落つくと——具体的には彼女の手掛けている原稿が校了すると、その晩は、膨大な書籍や紙片がそれなりに整理された彼女の部屋で一緒に寝ることが習慣だった。本に埋まった同居人の寝室に行くと、自分がここでは異物であるような感じを受ける。言葉が無数に書き連ねてはあるが、しかし沈黙したままの凡百の堆い書籍に見つめられながら、僕達は人間的で動物的な行為に耽る。

「猫のことを考えているの?」

 行為の後、男女の人体図解の絵のように並んで横になったまま、天井や周囲の本棚を眺めていた僕に彼女の声が聞こえた。

「猫、鳴いていたよ」

「猫はいつも貴方には鳴くよ。一緒にいる時間は、在宅で仕事をしているわたしの方が多いけれども」

「一緒にいるって、単に時間や空間を同じくするだけじゃあないから」

「わたし達は、一緒にいると云えるのかな」

 同居人は珍しく感傷的なことを云った。

「云えるよ」

 僕は答える。云えるよ。今まで一緒にいた/今でも一緒にいる、そう云えるよ。

「現在完了形でそう云えるよ」

「変な云い方だね」

 同居人は少し笑ったようだった。

「でも、最近時々思う」

 裸だからだろうか、僕は少し自分の普段思っていることを素直に云ってみたい気持ちになった。別段、同居人との日常で過度な遠慮をしている訳ではないが、それは余り日常では話さないようなことだ。

「いつからこの生活が続いていたのだろう」

「いつから……」

「僕達、いつから同居し始めたのだろうって」

 暫しの沈黙。沈思。黙考。

 僕達は思い出そうとしている。共に暮らし始めた頃を。そして、更にはお互い初めて出逢った時を——。

 無数の言葉——それはこの国の言語ばかりではない——で記録されたこの部屋を埋め尽くす書籍達は、何も教えてはくれない。

 僕達は求めている情報へとアクセスする術さえ知らないらしい。否、そもそも求めている情報=記憶への回路が壊れているか、消えてしまっているかのどちらかなのかも知れない。

 ——そもそも、そんな記憶は最初からないのでは。

 僕の背筋が顫えたのは、単に僕が裸だからではない。

「判らない。あの猫と同じだね」

 同居人の声がする。

「あの猫がいつ来たのかも判らない」

「ああ、そうだね」

「わたし達がいつ出逢って、一緒に暮らすようになったのかも判らない——同じだよ」

「判らないと云うことが?」

「ええ、そう。猫が来たことも、わたし達が一緒に住み始めたことも、実はそんなに違いがないんだよ」

「そうかな。全く違うことだと思うけれども」

 僕は数回瞬きをした。身体はそれなりに疲弊していたけれども、眠くはならない。

「同じことだよ。どちらも始まりは不明なんだから」

 同居人はそう云う。それは彼女の言葉にしては意味が判然としない。彼女の言葉はもっと具体的で簡潔な印象があったが、それを改めなければいけないのかも知れない。それとも翻訳の仕事がひと段落つき、具体的な言葉を遣い過ぎてしまったのだろうか。

 言葉を取り戻すまでには時間が掛かる。

 何処かでサイレンの音が聞こえた。

 それ以外はいつものように深い静かな夜だった。

「猫、大事にしてあげて」

 同居人はそう云った後、暫くして穏やかな寝息を立て始めた。

 僕は益々冴えた眼と意識で、しかし何処か穏やかでもの悲しい気持ちで、夜に身を任せていた。

 猫の鳴き声は聞こえなかった。

 

 彼女が出ていったのはそれから数日後のことだった。

 いつ来たのか判らない猫がいるから、同じくいつ一緒になったか判らない自分は出ていくと云うのがその際に云っていた理由で、それは特段理由になっているようには思われなかったけれども、僕は不思議なくらい心に波風を立てることなくその申し出を自然と受け入れた。具体的な彼女の言葉は戻って来なかったのだろう。

 

 白い猫は、僕の腕の中で心地良さそうに咽喉を鳴らしている。猫は小さなままで、成獣だとは思うがその声は相変わらず小さく、僕が椅子に坐っていると、足許に擦り寄って来て、それでも僕が気づかないでいると前脚を突き出し、僕の足をノックするように蹴り上げるのである。そうして僕は猫を抱き上げ、顎から咽喉の辺りを撫でると、ゴロゴロと小さく咽喉を鳴らすのだ。

 猫と僕との関係はそうした行為に終始していると云え、そこに餌遣りと排泄物の片付けが加わるくらいだ。

 小さな白い猫と僕との生活は、独居になってもそれ以前と殆ど変わることなく続いていった。

 暫く猫を抱いていたが、ふと、猫はするりと僕の腕を抜けるようにして床の上に降り立った。それは全く優雅でしなやかな仕種で、白い毛並みは乱れることはなく、重力に逆らうことなく、しかし完全に重力に支配されている様子も不思議となく、宛ら天使が地上に降り立つとはこのような仕種なのかも知れないと、僕にしては柄にもなくロマンチックな印象を受けた。

 猫は、僕の方へと僅かに首を巡らせ、足音もなくフローリングを歩き始める。それは今までにはない行動で、僕は暫し驚きその場に立ち尽くしていた。すると猫は歩行を停止し、また少しこちらを顧みる。付いて来いと僕を促しているのだろうか……。

 猫の瞳は、それは明らかに獣のそれで、猫特有のものに違いないのだが、何処か見覚えのある人間のものを思い起こさせる。それは単なる既視感とするには、生々しいものだ。僕はこの猫に似た瞳を持っている人間を知っている……。

 猫が再び歩き出す。僕はその後を付いて行く。

 廊下を通って、猫はその部屋の扉の前で止まった。

 そこは、嘗て同居人が使っていた部屋だ。

 猫は両前脚を上げ、その扉に爪を立て始めた。

 ——開けろというのか。

 僕はドアノブを握り、猫に配慮しながら嘗て同居人が使っていた部屋の扉を開けた。

 そこは今となっては一種の空洞だった。部屋中に堆くあった膨大な書籍は既になく、僕が同伴したベッドを始めとした家具も一切除かれていた。元・同居人は綺麗に自分の生活の痕跡を全て消し去っていったのである。

 ——あれは……。

 何もないと思っていた部屋の中に、それだけ目立つように一冊の本があった。

 白い猫は開けられたドアの側に静止したまま、まるで精巧な置物のように僕の方を見上げている。

 やはりその瞳は明らかに猫のそれなのだが、しかし僕に先刻よりも強烈な既視感を起こさせ、それは眩暈と共にフラッシュバックのように脳裡に幾つかの断片的記憶を僕の意志とは関係なく想起させる。

 猫——、猫の眼——。

 僕は軽く頭を振るうと、猫に見つめられながら室内へと這入る。

 そして部屋のほぼ中心に置いてある本を手に取った。

 元・同居人が去って、僕はこの部屋に這入ることはおろか、覗くことすらしていなかった。その必要もなかったし、使われていない部屋の掃除など何度もする必要もないだろう。元・同居人はきちんとした性格だったので、自分の所有物は自身で片付け、処分している筈で、実際そうだった。なのでここに残された本は、元・同居人が意図的に残していったものに他ならない。

 それはハード・カヴァーの立派な装丁の本で、カヴァーには有名なコンテンポラリー・アートが使われていた。著者名はアリギエーリ・ユン。僕の知らない名だ。そして翻訳者として元・同居人の名が比較的大きな文字で銘記されていた。

 恐らく、これが現在彼女名義で出版された唯一の翻訳書なのだろう。

 僕との同居期間で、彼女は様々な仕事を同時進行でこなしながら、持続的にこの本を訳していたのだと僕は直感する。それに客観的証拠や、思い当たる出来事は特段ある訳ではなかったが、間違いないだろうと僕は思う。それは確信に近かった。また、この本の翻訳が完成したから、僕との同居を解消したのだろうとも推察された。

 それは一方的な憶測だろうか。自分が彼女に対して何らかの生産的な影響を与えていたと思いたいのだろうか。つまりこれは僕の未練なのだろうか……。

 僕は手にした本のページを捲る。

 それは、小説のような、またはエッセイのような、どちらともジャンル分け出来ないような文章で、文体は簡潔、一文は短く、端的に文意を伝えている。全く彼女らしい文章で、そもそもこれは翻訳などではなく元・同居人自身の著作なのではないかと思う程だ。

 カヴァー袖の部分に著者近影が載っている。モノクロの写真だ。その写真を目にしたことが以前にもあった。それはあのキッチンテーブルに乗っていた。元・同居人が仕事をしている最中、その資料として大判に引き延ばされた鮮明な写真があったのだ。その写真も、いつの間にかキッチンテーブルから消えていた。

また、いつの間にか、だ。

僕は思い到る。そしてドアの側に鎮座する白い猫を見る。

 いつの間にか一緒に暮らしていた同居人。

 いつの間にか棲み着いていた小さな白い猫。

 いつの間にか消えていた著者の写真。

 そして、いつか何処かで見た覚えのある猫の眼。

 その眼は、何処かこの著者の眼と似通っている。キッチンテーブルから写真が消えた頃から、この猫は現れたのではなかったか。

 そうした連想が、全く根拠のない、そればかりか子供染みた稚拙な空想、妄想の類に他ならないことは明らかだ。そうした妄想、それはつまりこの白い猫がこの本の著者ではないかということ、また著者と何らかの関係があるのではないかという妄想。

 僕は一度本を閉じる。そして最早元・同居人の名残りのない部屋を出た。

 ドアの側の猫は別段僕を止めはしない。当然だろう、僕にこの本を手に取らせることが、恐らくその目的なのだったから。——これもまた、単なる妄想だろうか。

 僕はリヴィングに戻り、椅子に坐る。それはマッサージチェアのように大型で、高く広い背凭れはリクライニングする仕様だ。僕は自分の気に入った位置に背凭れを倒し、本を胸に抱いたまま目を瞑る。

 視界は閉ざされた分、他の感覚が敏感になる。

 彼方で小さく猫が鳴く。

 猫はまだあの部屋の前にいるのだろうか。それとも僕の後に続いてリヴィングに戻って来ているのだろうか。そしてこの椅子の側に控えているのだろうか。

 否、猫の鳴き声は、恐らくそうした所から聞こえて来るのではない。

 猫の声は、この手の内にある本から聞こえて来るのだ。

 僕はこの本を読まないだろう。正しくは読めないだろう。きっとそこには僕の人生に関する何ごとかが書かれている。しかし、人は自分自身の人生について知りたいだろうか。知りたいと思う者もいるだろう。けれども、人は自分自身の人生を予め知ることは出来ない。

 猫はそんなことを考えはしない。自由の概念がないものに自由は存在しないけれども、自由という概念に束縛されない別位の自由を持つことが出来る。猫はそうだ。

 僕は目を瞑る。

 猫の鳴き声を聞きながら、その小さな無意味な音に促されるように、僕は意識を内面へと降下させていった……。

 

   *

 

 挿絵のない歴史の教科書に退屈した少女のように、僕は何かを追って、そして穴ぼこに落ちた。そこに案内人はおらず、時々白い小さな猫が眼の前に現れては消え、不敵な笑みを浮かべて僕を誘う。僕は僕の身体を離れ、一冊の本の中に閉じ込められる。そこには僕についての何らかが書かれている。自分について書かれたものを、当人は読むことが出来ない。そこで可能なのは、未知なるものを体験することだけで、それが未来を迎えること、現在を生きてゆくことなのだろうという凡庸な結論に到る。

 僕は猫に付いて行く。猫は透明になり、そして実体化し、時々不敵な顔をこちらに見せつつ、僕を導いて行く。

 行き先は何処だろうか。

 輝かしいユートピアか、暗く閉ざされたディストピアか。

 天国か、はたまた地獄か。

 僕は、住居ばかりか自分自身からも離れて、いつの間にか棲み着いた猫の後を歩いてゆく。

 路は幾つも分岐していて、その場で猫は立ち止まる。どの方向へ進むかは自分で決めろということだろう。僕の選択した路を、また猫が先導する。

 僕は割と元気な気分だった。ここは余り彩のない世界だけれども、胸を張って歩いて行けそうな気がした。

 無数の選択と、そして喪失と獲得の物語を僕は生きることになるのだろう。それは見事に寓話化された凡庸な人生の物語だ。

 でもそれが他ならぬ僕自身の物語だと確信している。だから僕は穴に落ち込んでしまっても、割と元気なのだ。何故なら、こうして路も続いており、奇妙な同伴者もいるのだから。

 猫が小さく鳴く。

 路は途中で途切れるかも知れない。また壁や崖に突き当たるかも知れない。僕自身が消えてしまうかも知れない。だが、道中の選択権は僕にも与えられている。

 僕は胸を張って、元気に路を歩いて行く。

 先には小さな白い猫いる。

 最早、元・同居人たる彼女は、ここには存在しない。

 

(続く)