奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

つながりのディグリー

日常業務の中から何かを汲み出そうとしても、なかなか難しいものだ。それはルーティンと化していて、特別に立ち止まって考えたり、疑問をもったり、驚いたり、何かを発見したりする余地が無い。それを慣れと云い、日常と云い、大人になることと云う。たぶん。

 

社会学者の西田亮介先生が自身の動画配信チャンネルで紹介されていたので、『アステイオン』95号収録の東浩紀「数と独立――棲み分ける批評Ⅲ」を読んだ。

アカデミズムの大学人もジャーナリズムの所属記者も、SNS環境下での衆人環視体制の中では、酷ければ所属組織にクレームが行き、最悪解雇にまで到りかねな中、発言が「政治的に正しく」なるよう制限されている現状がある。一方、数を増やすことで影響力を増すことが、イデオロギーや所属、立場に関係なく公共性があり、今アカデミズムもジャーナリズムもそうした数のアテンションのゲームを如何に巧く攻略してゆくかと云う状態に陥っている。

数や、それが齎すであろう多くの親密なつがりが公共性というのは全くの誤りであることを指摘し、そこから独立し、自由を獲得する為に、東自身が実践してきた株式会社ゲンロン設立、及び動画配信プラットフォーム「シラス」の開発に話題が及ぶ。

しかし、「シラス」が開発される前から、「観光客の哲学」が唱えられる前から、東は言論人・文化人。知識人らのそうした関係性、また一般社会でも硬直した環境を変える為には、親密な関係では無いものが必要だと既に云っている。それを「弱いつながり」という。

 

各出版社から、今年刊行されたミステリのランキングが陸続と発表されている。相変わらずポロヴィッツは強い、と云うのが直感的な感想だ。数年、ランキング上位を席巻するようなベストセラー作家が現れる。自分が学生の頃は、ジェフリー・ディーヴァーなどがそうだった。勿論、御歳70になられるディーヴァーはまだ現役で、今年も翻訳が新刊刊行された。指が動かなくなり、頭が働くなったら文章も書けない。指も脳も当然肉体の一部だ。幾齢になっても充実した仕事は始められるが、それがいつまで出来るのかは人間が肉体を具えている限り不明である。昨年からの健康診断等でそのことをよくよく痛感している。

 

アステイオン95

アステイオン95

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