奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

身体の憂鬱

最近また間食が増えたせいか、お腹周りが重い。冬を前にして栄養を蓄える熊ではないのだから、色々節制しなければいけない。まあ、食欲があるのは健康のバロメイターなのだろうけれど。

 

仕事は週明けのせいか多少は忙しかった。特に商談の予定はないが、いざそれが入った時に対応できるよう、準備しているだけで午前中が終わってしまった気がする。もうすぐ師走だが自発的に忙しくすることもできるだろうし、また大して積極的に動こうとはせずほっかむりをしたままやり過ごすこともできそうな気がする。消極的対応にしても積極的対応にしても、やることが否応なく降りかかってくるのが仕事だ。まさに生まれ出る仕事……。

 

納富信留『哲学の誕生』と同時に、同者の『プラトンとの哲学』を読み始める。後者は岩波新書ということもあり、書き振りも前者に較べて易しい。前者がソクラテスとを取り巻く時代的状況にフォーカスしているとすると、後者は題名どおりプラトンを通じて、その対話篇を主に哲学することを丁寧に実践するという入門書的色合いが強い。人は何の土台も無しに考えること、ある程度まとまった、つまり体系だって物事を考えることは困難だ。なので先人の思想(群)を学ぶことは自らがまとまったことを考えるためにも当然必要となる。自分はギリシア語、古代ギリシア語、コイネー=ギリシア語もできないが、というか外国語全般はおろか日本語にも自信がないが、翻訳もしくは第一人者の著書が読めることは非常に喜ばしい。問題は解説的な本ばかり読むことで、なかなかプラトンやクセノフォンなどの著作に手が出ないことだ。

 

夜、オンラインであるトークイヴェントのライヴ配信を視聴。疲れていたため冒頭のみ。今をときめく若き知性と、イヴェントスペイスのオーナーによる対談。最初からゆっくりと落ち着いた感じで開始され、話題も時にクリティカルに、時に周縁的に広がり興味深かった。しかし、その経歴や雰囲気から登壇者も話題もどこか自分には縁遠いもの、高等=高踏的な感じがしてしまい。どこか色褪せたように思われた。嫉妬というよりも拗ねた感じに近いのかもしれない。もう拗ねるような歳でもないのだが。

 

先週あたりまで体調が優れず、気がつくと寝てばかりいたので体力の衰えを感じる。年末に向けて色々あるので、ちょっとずつ怪我のないように調子を整えていかなければならない。同時に蓄膿症による後鼻漏がまた始まり、どうにか解消したい。このご時世、無神経に咳をすることも憚られる。強迫観念的になるのは良くないが、それでも健康第一である。