奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

本だけが憩い

納富信留プラトンとの哲学』(岩波新書)を読んだ。プラトンの著作や当時の状況を通した著者とプラトンとの対話、そして著者自身の内的対話という独特の形式で書かれている。各章、『ソクラテスの弁明』、『饗宴』、『ポリテイア』などの著作をテーマにしてその解説を通じ、著者と共に哲学を実践するというもの。哲学は学問である。しかし単に知識を蓄積するためのものではない。哲学という形而上形而下を問わず対象をラディカルに考えること、つまり哲学を生きることを示してくれる一冊。引っ掛かりのある書名は、同レーベルに『プラトンの哲学』という著書があるが、それを被らないようにとの理由もあるだろうが。

 

朝から在住自治体内の図書館へ取り寄せた本を借りにいく。司書職員以外いなかった。マスクをしたまま坂を歩いて上るとそれだけで息が切れる。体力の衰えを実感せずにはいられない。借りた本は大著だが、年末年始を跨いで読了したい。先月は眩暈が酷く落ち着いて本が読めなかった。またいつ体調が悪くなるやもしれないので、読書はもちろんのこと、できることはできるうちにやっておきたいものだ。人生の積極さとはそういうものだろう。

 

午前中病院へ。自治体内で火災発生の連絡があったが、直ぐには戻れず出動不可。寒くなってきているし空気も乾燥している。秋の火災予防週間は終わったとはいえ、自身の生活でも十分注意したい。

 

午後から胃腸の調子悪し。腹に膨満感があり僅かに不快。食物の経口摂取は普通に可能。下痢もなし。時制柄健康にはよくよく気をつけたい。地方で新型コロナが比較的猛威を振るっていることに関して、マスメディアを始め色々な意見があるようだが、ともかく自分個人がすべきこと、できることは感染予防対策を引き続き講じていくよう努力することだ。コロナ禍に対する意見に関しては自分自身はどうしても感情的になりすぎる傾向がある。無意識にストレスはかかるが、冷静でありたいものだ。

 

プラトンとの哲学』を読むことで途絶していた同著者の『哲学の誕生』(ちくま文庫)を再開する。いずれ同著者、同文庫の『ソフィストとは誰か?』も届くだろう。同じ著者、類似のテーマについて集中的に読むことを年末から来年の読書の緩い指針としていきたい。