連休明けの週なかば
家族が風邪に罹患したので、大事をとって終日家にいた。
というか、三連休を通じて在宅。家人の一人は部屋に引きこもり、一人は咳がひどい。休みが明けたらもう一度通院してもらいたいが、個人的には体調を崩せないので、非常に気を遣う。検査でインフルエンザなどの感染症ではないとのことだが……。
連休中、珍しく散歩をしたためか、休み明けも酷い筋肉痛にはならず。ただ仕事が多忙で疲弊する。本日のように週の中日になると落ち着くが、他に処理する作業が増えてきて、なんだか気忙しい一日だった。
先日購入した『ひどい民話を語る会』(角川文庫)を読む。内容は下ネタ中心のひどい民話を複数人で紹介していく、面白おかしい本だが、巻頭の京極夏彦による「はじめに」は、それ自体が優れた物語成立論、ひいては創作論にもなっていて、しかも軽妙でユーモラスな文章なので、大変楽しく、かつ勉強になる。面白い書き振りというのも、「ツボ」と言えるのだろうか。
先般、スーパー戦隊が終了するという残念な報が入る。コストと収益の面で合わなくなってきたとのこと。理由は分かるが非常に残念。東映の株を購入すれば応援になったのだろうか。ちなみに、一番最初に観た戦隊は、「超新星フラッシュマン」で、一番好きなのは――もちろん全てだが――「激走戦隊カーレンジャー」である。
今日、一年通して放送されるドラマは、NHKの大河ドラマと仮面ライダーと、そしてスーパー戦隊くらいで、事実そこから出てきて現在活躍している俳優は多い。
ずっとあると思っていたものは、本来そうではない。多くの人々の努力と、そして環境と運とが関わってきて、継続されている。そんな当たり前のことを思い、個々人の人生もまたそうなのだと、柄にもなく思いを馳せた次第だ。
心臓への不安と楽しみ
休日なので終日寝ていた。
夕方遅く、以前から左胸に違和感を感じていたので、心臓専門の内科へ行く。血液検査、心電図、CT、エコーと一通り行ったが、特段の異常は見られず。一安心であるが、まだ時々違和感を感じたり、ちょとした痛みがあったりして、僅かに心配ではある。二十四時間心電図というのもを使い、明日の夕方まで測定を続けるというので、看護師に装着してもらう。気分はすっかりヴェイダー卿だ。あれは人工呼吸器であるが。
年を経て、年々身体に不調を覚えるようになった。身体は物であるので、仕方のないことだろう。病気への不安は常に大きいが、それとは別に、今はこんな検査があるんだ。この数値からこうしたことが判るのだという、発見は、実のところ密かな楽しみでもある。四月に初めて内視鏡を受けた。自分の体内が、リアルタイムでモニタに映し出されるのは、正直言って心が躍った。喋れる状態ではないので、医師にいろいろ質問できないことが残念でならない。
クリニックを出ると、予報通り雨が降り出す。明日は雨なのだが、そろそろ秋の火災予防週間に向けて、ポスターを配らねばならない。自治体の広報にでも挟めば良いのではと思っているが、縦割り組織の連携は難しいのか。
先日、日本語訳が発売になったユク・ホイの『ポストヨーロッパ』が届く。『中国における技術への問い』を面白く読んだので、それと継続した問題を発展させたこの著書も大変楽しみだ。楽しみはどこにでもある。クリニックでの検査すら、怖さ八割、楽しみ二割と言っても良い。
それにしても季節の変わり目なので、皆さんはご自愛の上、健康には十分にご留意し、楽しいことを沢山見つけていただきたい。
本が届く、寒さも増す。
夜になると寒さが増す。これからどんどん冬に近づいていくのだろう。天気予報ではいつの間にか紅葉情報もやっているではないか。
今日も今日とて、普通に出勤。重大ミスにつながるヤバい場面もあったが、慌ただしくも一日が終わった。
注文しておいた本が一気に届く。下にAmazonアフィリエイトのリンクで紹介するが、この中で一番面白そうだと思うのが、実は日下三蔵編『SFをおって 筒井康隆エッっセイ集成1』だというのは、もう自分にジャストミートするのだから仕方がない。多分他の本も面白いはず。みんなで読もう。
『三島由紀夫研究25 三島由紀夫のエンターテインメント2』(鼎書房)は、今年が三島生誕百年でありながらも、あえてそれを打ち出さない姿勢。もちろん、巻末で報告文章は載せていたが、百年だからということに敢えて過剰な意味づけをせず、三島のエンタメ系作品の研究特集に当てているのが、却って潔く、堅実な印象を与える。中でも三島由紀夫の「楯の会三原則」は、写真も豊富で、資料としても貴重であり、大変読み応えのある記事だった。各所に記載されている「楯の会三原則」が微妙に異なるのは何故か、その原本はどうだったのかといった観点から、楯の会の隊員手帳や、雑誌に掲載された隊員の集合写真など、自分にとっては初めて見るものばかりだ。
そうはいっても、ミシマ・イヤーということもあり、関連本はまだ今後も予定されている。いくつかは予約しているので、手に入り次第、ここでも感想など紹介していけたらと思う。思うだけならタダである。
室内の仕事だが、忙しくしていると今でも汗を掻く。前にも書いたが、それが暑がり故の代謝の汗なのか、それとも自律神経が失調している冷や汗なのか、自身にもよく判らない。皆さんもくれぐれも、ご自愛いただき、良い本を沢山読んで欲しい。
秋、参上。
昼日中でも冷えた日だった。もうすっかり秋だ。遅いなあと思われていたからといって、こんなに急に来なくてもいいよ、秋。もっと早く、ゆっくりおいで。
夜、高市内閣が発足。参院選から三か月、政局の喧騒が喧しかったが、これで本格的に政策論戦に入って欲しいものだ。新内閣の詳細はニュースで詳しいので、参考にされたし。
体調は相変わらず昼間は優れず。汗を掻くことはなかったので、やはり今までは暑さが原因か。夕刻から少し楽になる。
夜になって寒さが増す。暖房器具がないと室内でもうっすらと冷える。もうホットコーヒーが恋しい気候だ。コーヒーはほぼ毎日飲んでいるが。
注文していた本が貯まってきていよいよまずい。今日は、北方謙三『チンギス紀 十三 陽炎』と、川原伸晃『植物哲学』を購入。『チンギス紀』もあと四巻で完結する。『植物哲学』は観光記念イヴェントが控えているので、それまでに読みたいものだ。
ファイナンシャル・プランニング技能士検定2級を受験する予定だが、全く学習ができていない。そろそろ資格の一つでも取得しないと、それが今後のキャリアに役立つかはもちろんのこと、長じてから何ら成功体験らしきものをしていない。合格とはゴールではないが、何か達成をして、生活に弾みをつけたいものだ。
と、いつも以上に取り止めのない感じの文章になったが、私生活を開陳して面白く感じてもらうほどでもないので、今日はこの辺で。皆さんも暖かくして休んでいただきたい。
身体、このままならぬもの
今日は天気は晴れたがあまり暑さは感じなかった。しかし何故だか汗を掻く。運動不足が原因なのか、単なる暑がりなのか、代謝がよいのか、はたまた自律神経が失調しているのかよくわからない。正直快適ではない。重いものを運んだりすると吐き気がするし、身体のどこかが明らかに壊れているのだろう。定期的に通院しているので、かかりつけ医に要相談だ。
年齢的にも、健康に関する問題はここ数年で目に見えて、つまり検査結果の数値的に明らかになってきた。いわゆる生活習慣病である。そこに自覚症状まで加われば、日々のパフォーマンスの低下は免れない。そればかりか生活の質も下がってしまうだろう。どうにかしたいが、一方で身体という最も身近な他者というものとの付き合い方を、抜本的に見つめ直す時が来ているのかもしれない。
身体がなければ、人は生きていけない。この身体を丸ごと含めて、個人は独立した一個の存在である。ここでは素朴な実在論の立場を取る。
しかし、そんな自分自身である身体ほど、思うままにならないものはない。生命活動を円滑にするために、身体は不随意な運動を行う。それは私が意識しなくても自然と生命維持に務めてくれる奇蹟の働きだ。一方、身体は私の意識と関係なく誤作動を起こす。そして、物質であるが故に経年劣化をする。そうした当たり前が、身体を最も身近な他者にし、思うままにならないものにしている。
気合いという言葉がある。私はこの言葉が苦手だった。しかし、気合いとは「脳に身体が合わせること」と定義し直して得心がいった。ある種のバイオフィードバックこそが、気合いの本質であり、究極なのだろう。
だが一方で脳もまた身体器官の一つである。我々は身体を持ちながら生存し、存在している。そして身体のあり方を、多少は意図的に操作できるが、我々の気がつかないところで、不如意な事態が進んでいくことがあるというのも事実だ。世の中のさまざまなことがままならないように、我々は我々自身であるその身体すらも、全て意のままにすることは不可能である。加齢というのは、こうしてその時まで生涯を共にする同伴者であり、我々自身と、否応なく向き合う契機を与えてくれる。それは吉報なのかそうでないのかは不明だが、いずれ誰しもが直面することだろう。
身体は言葉を発しない。我々は我々自身に起きている事態を把握し、その代弁者となって状況を説明しなければならない。主に医者に、そして自分に対して。
神無月も後半、寒さも一気に増してくる。皆さんもこの不如意でありかつ不可欠な他者である身体にくれぐれも気をつけ、これからを過ごしていただきたい。
土曜の夜は魅惑の時間
18日は朝から病院だった。週末になると常に通院しているような気がする。たぶん気の所為だろう。
インフルエンザの予防接種受付の掲示が出ていたので、また近いうちにお世話になる予定。感染症は自然の一部としてどこにでもあるので、うまくお付き合いしてゆくしかない。地震も台風などを例に出せば自明なように、自然の前には人はあまりにも無力なので、常日頃出来るだけ予防を心がけ、防災準備を意識しておくことが今まで以上に肝要になっているのだろう。
天気予報は雨だったが、午前中は晴れる。
夜、配信プラットフォーム・シラスにて、元東京大学教授である石田英敬先生の「現代思想の教室」を視聴。渋谷慶一郎の「Android Opera」を取り上げ、そこにみられるメディア技術と、表出された現代思想的な問いについての講義。フェルナンド・べソアとアントニオ・ダマシオを嚆矢として、ジャックデリダの『声と現象』、アンドレ・ルロワ=グーラン『身ぶりと言葉』といった、今までの主要テクストを引きつつ、人間の情動、アンドロイドの情動といったメタ的な情動への視点へと移る。当然、その裏には最近の講義動画でテーマになっているフロイトが潜んでいることは明らかだ。
ハマスによる人質がイスラエルへと帰還したが、ハマス・イスラエルの武装解除は未だに実現せず、恒久的な平和への道は、正直見通しが立っているとは言い難い。二十一世紀になっても、死者・行方不明者数が判然としない戦争が起きていることに、我々は驚愕せざるを得ない。
政局は自民と維新が連立する様相を呈し、政治とカネの問題が、議員定数削減へとすり替わっている感が否めないが、落ち着きを取り戻して欲しいものだ。
各地では熊の被害が相次いでいる。生身の人間では、熊一頭にも敵わない。自然の前に、人は逃げ惑い、頭を下げ、そして祈るしかないのだろう。
もしも子供がいたのなら
通常に出勤をしたが、色々と所変わって忙しい。人事評価は末端の自分が預かり知るところではないが、頑張った割には、この業務は評価対象にはなっていないのではないかという疑念が湧く、そう思うのは、大抵の場合対して仕事をしていない、若しくは出来ていない人間の妄想である。だから自分もそうなのだろう。他社と比較しても仕方がないとは言うものの、比較してしまうことも織り込み済みで、みんな人間関係を築いているのではなかろうか。
珍しく早くに帰宅。昨日、NHKでスマホとの付き合い方について特集をやっていた。自分が子供にどうスマホと付き合っていくか考えると、悩むこと頻りだ。そもそも自分自身が典型的なスマホ中毒である。スマホや、Webサーヴィスには、凄まじく頭の良い人間の考えた、手軽に人を依存させる機能やコンテンツに満ち満ちている。その中で、我々はお客様ではない。お客とは広告主のことであり、我々は、大企業に提供される資源に他ならない。例えるなら羊のようなものだ。羊は毛を刈り取られ、それを羊毛業者に提供する。我々もほぼ無料に思えるWeb上のサーヴィスを利用することで、大企業のスケール化を提供し、広告主の出資を募るための数字とされるのだ。
そうしたテクノ資本主義(と言う言葉があるのかは知らないが)の渦中で、我々がいかに振る舞うべきなのかを示すのは、大変難しい。正直子供に示せる自信がない。そもそも現代の子供は何を勉強しているのだろうか。国語に数学、社会に理科、そして英語。数学もいまだにⅠAやⅡBといった区分なのだろうか……。
夜、某会合に出席。霜月はその会合関連の、どうしようもないイヴェントが盛りだくさん。正直、国防云々とおっしゃる方々は、地域に根差した件の某組織に所属してみて欲しいものだ。
そんなこんなで今宵も暮れ、今はもう翌日になった。悩みは尽きないが、日々やってくる何事かに対処していくうちに過ぎ去ってしまうものだ。そして、自分すら儘ならぬ自身、つまりは自らの身体という、最も身近で儘ならぬものを同伴しながら、自分の人生も暮れていくのだろうと思った、秋の深更。









