奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

翻訳の豊饒さ

もうすっかり年末である。うかうかしている内にブログも 絶賛放置中だ。放置してるのは、ブログだけではない。人生で大抵面倒くさそうなことは放置、または先送り中だったりする。ワタクシだけですかね……。

そうこうしている間にも、息したり眠ったり本を読んだり、糊口を凌ぐ為に会社員の真似事をしてみたりと社会人に擬態して生きている訳だが、そろそろ鍍金が剥がれてしまいそうだ。誰か助けて。

 

幾人かはそうだと思うが、海外文学の古典の場合、気に入った作家、または作品は、翻訳が出る度に買い足していることだろう。かく云う自分の、ドストエフスキー『白痴』は、新潮文庫木村浩訳、河出文庫の望月哲男訳、そして刊行中の光文社古典新訳文庫亀山郁夫訳と 3ヴァージョンを所持している。初めて読んだのは、木村訳で、岩波文庫や嘗て河出が出していた全集でお馴染みの米川正夫訳は実は未読だ。

夫々読み出すのに、かなり時間が空いているので、殊更読み較べようとしたことはないが、翻訳が幾種類も出ていることは、何と恵まれていることではないか。特に望月訳と亀山訳は2000年代に這入ってからの翻訳なので、読みにくさは余り感じない。そもそもロシア語に関する素養がないので、言語的なニュアンスは専ら日本語に拠ってしまう。原語についてはお手上げだが、大元の小説自体が頗る付きに面白いので、定評のある訳ならばそれが失われることはあるまい。

そう云えば、ダンテ『神曲』も岩波文庫の山川訳と、河出文庫の平川訳の二つを持っていた。近年出た講談社学術文庫版もいいなと思いながら、まだ手は出していない。角川版もそうだ。

そして、実はプルースト失われた時を求めて』も、集英社文庫ヘリテージの鈴木道彦訳と、岩波から刊行中の吉川訳を購入している。もうここまで来るとちくま文庫のイノキューこと井上究一郎訳も欲しい。しかしこんなことは、まだまだ可愛い方だろう。しかしながら、時代が進む程研究成果も蓄積され、訳本の巻末に附記される解説等がより詳しくなってゆくのが結構ポイントが高い。集英社文庫版『失われた時を求めて』は、訳者解説の他に著名人のエッセイまで載っける豪華版だ。

プルーストやダンテもそうだが、ドストエフスキーは未だに日本人が好きなのか、新潮文庫を始め代表作は入手し易い。しかも海外文学と云えど、古典で文庫は、まァ書籍の中では廉価の部類ひ這入るので、擦り切れる程に読んでもまた気軽に買い直し出来る。嗚呼、出来るならばこうして永遠に読み続けていたいものだ。

 

最近、こうして取り止めもない文章を書くのも、億劫だ。色々枯渇して来ているのだろう。どうか皆さんはそんなことにならぬよう、良い本を沢山読み、善い人間でいて欲しい。グリーンマイルは遠すぎるが、しかし読書と雖も、肉体の衰えは如何ともしがたい我々にとって、それは他の多くと同じく老後の愉しみにすら、実はなりにくいのだから。

 

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