そろそろ暦の上では春ですが、寒さが一入です。
今回は、柄にもなくナイーヴな雰囲気の文章ですが、比喩的に云えば初詣に行って個人的なお祈りをするみたいな内容なので、まあ、ほんの私小説風随筆(?)みたいなものとしてお読み頂ければと思います。
本当は本を読んでいるばかりでは駄目なと思う。現実のところ、年が明けてこっち、読書を始めとして、大したインプットをしていない。それは焦りを感じさせる。筋肉トレイニングが日課になっている者が、もう何日もそれを行なっていない時に感じるであろう焦りだ。
それと同時に、ここ数日、否数箇月は纏まった文章を何も書いていない。インプットをしていないからアウトプットが出来ないのか、それとも書けない/書かない理由若しくは原因が他にあるのか……。
無論、それは怠惰の産物、結局は気分と云う曖昧な感情に由来するものなのだろう。そこにどう尤もらしい理屈を付けたところで、それ自体は全く創造的な行為とは云えない。
柄にもなく、随分と感傷的なことを書いた。こうした文章は、実のところ生の素材をそのまま並べるだけで、何の加工もパッケージングもしていない藝のないものだと個人的には否定的なのだが、一度吐き出してみるのも、リハビリへの一歩だ。結局自由に書ける(無論、公序良俗を最低限守ってのことだが)チラシの裏程度の場所なのだから、うっかり見てしまった方には申し訳ないが、偶にはこうした愚痴とも弱音ともつかない心情も吐露してみたい。カタログ的に本を紹介するのも、嫌いではないのだけれどさ。
随分前に、
でアカウントを取得し、ファンタジーを投稿した。知人に読んでもらうために書いたのだが、結局数話投稿してそのまま放置状態である。非常に恥ずべきことだ。これもスプリング・ボードというか、助走装置となるよう、近日投稿再開予定。一話くらいはそろそろ投稿出来そう。それは個人的な希望でしかないのだが……。
ドストエフスキーをまた読み返している。最近Twitterで知ったドストエフスキー同人誌を刊行されている方が寄稿している「しししし」vol.2を購入、一読した。その筆者であるmerongreeさんの「他者と会話するよりも、ドストエフスキーを読む方が楽だった」趣旨の文冒頭は、何となく共感するところが大である。それもあって、ドストエフスキー、またはバフチン『ドストエフスキーの詩学』の再読中だ。どれも昔持っていたが、引っ越す際に売却してしまったかも知れない。一月の頭にまた書い直し、徒然に読んでいる。それに今後何らかの効果があるのかは不明だ。また、効果を求めること自体にも疑問だったりする。面白いのだからいいのだが。
「何となく」とか最近気分めいた言葉をよく遣う。気分は、自分にとっては余りポジティヴな意味を持っていない言葉だ。そして今もそう云う印象を持つ。そうした自分が、気分めいた言葉を遣うのは、何処かで忸怩たる思いがある一方、もう胆力もなくなり、理屈めいた文章を書くスタミナが乏しくなってしまっているのではないかと「ぼんやり」と自覚、自分に対して予感する。小説にしろ、それ以外の文章にしろ、気分めいたものを遠ざけ、理屈めいた文章を取り戻し、更にブラッシュアップ出来るよう、自分はもう一度、計画的にそして実践的に書くことへの訓練を積まなければならない。 それこそ心に強く秘めておけばいいのだが、宣言することで、実行に繋がる神話めいた言葉の力を、自分はここで信じてみる。
- 作者: ミハイル・バフチン,Mikhail Mikhailovich Bakhtin,望月哲男,鈴木淳一
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