奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

休日にて

休日だったので、撮り溜めた大河ドラマ真田丸」を三倍速で観ながら、このブログをいじっていた。

 

目論見としては、以前書いて、同人誌に掲載した小説を、公開してゆきたいのだが、なかなかよいフォーマットが見つからない。

ブログにコピー・ペーストすれば、短編とはいえ、見た目に冗長な感じがして格好わるいし、PDFでダウンロードすることも考えたが、どうもこのはてなブログには直接添付出来ないらしい。

ゆくゆくは、ブラウザでも閲覧出来、そして同時にPDF形式でファイルをダウンロード出来るようにしてゆきたいのだが、外部の諸サーヴィスをいろいろ組み合わせてみるのが今の所ベターな方法なのだろう。

 

よって、もし無事公開出来たら、楽しんで頂きたい。何時になるかは、管理人の根気とやる気次第なのですがね……。

 

hontoに注文した本、オウィディウス『変身物語』上下巻(岩波文庫)は、本日漸く届いた。ヤマトのDM便というのは、直接のポスト投函なので、3〜5日と少し時間は掛かるが、不在にしていてもよくて意想外に便利だ。

 

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ネット書店交々

以前、丸善ジュンク堂ネットストアを利用していた。

実家に引っ越して、近所に大型書店がなくなり、どうしても近隣の本屋で売っていないものは、当該のサイトから購入していた。

Amazonも利用していたが、当該サイトの利点は、丸善ジュンク堂のカヴァーをしてくれるサーヴィスがあったことだ。

画集等の四六版は別にして、通常の単行本や文庫本なら、確実にカヴァーを巻いてくれる。書店で本を購入するに際し、カヴァーを貰うことが常態化している自分にとっては、大変有り難いサーヴェスであった。

 

しかし、時は移ろい、また栄枯盛衰がこの世の必定であるように、先日を以て、丸善ジュンク堂ネットストアは閉鎖され、hontoに統合された。

残念ながら、今はまだ統合先のサイトには、カヴァーサーヴィスはない。

紙の本は売れないと云われて久しい。出版不況は構造的不況とも。また、電子書籍の進出が目覚しいが、未だ、読書界の構造や出版界の現状を自分のような末端の一個人にまで実感出来る程、変えているようには思えない。

自分はまた、古い読者の所為か、自然と紙の本を求めてしまう。この、ハードとソフト両ウェアが一体になったものの便利さは、まだまだ自分の生活には必要なものだ。

とまれ、失くなったものを何時までも嘆いていても仕方ない。失われたものは、大抵は戻ってこないし、戻ってきたと思っても、以前のそれではないし、そして戻ってきたもので満足してしまうならば、それは代替可能なもので自分にとって絶対的な何ものではなかったと云うことだ。

……話題がそれた。hontoもまた、Amazonや他の同種のネット通販サーヴィスと同じように、紙媒体もまた電子媒体も扱っている。丸善ジュンク堂ネットストアからアカウントも引き継げたことだし、両方、自分に合った使い方を模索してみる良い機会かも知れない。 それに先駆けて、iPad miniが欲しいが……。

まァ、本が読める喜びと愉しさはどうあっても無くならないとしても、在庫があるなら、もっと早く発送してくれませんかね、hontoさん……。

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すっかり、春

以前、一体何時書いたのか、すっかり忘れてしまう程放置していた。

このブログをだ。

前にもいちいちレンタルサーバーまで用意してやっていたブログも、結局何日か坊主で終わってしまい、装いも新たに、もっと簡便に、書き手の肩の力を抜いて始めた、このブログも、御覧の為体だ。猛省。

季節は、すっかり花粉症の辛い時季に這入った。今は一年中、何らかのアレルギーがあるのだそうだが、この時季特に酷い人は多い筈。斯く云う自分もそう。みんな、めげずに強く生きてゆこうね!

生活の方は、変化があるようなないような、しかし行く行くはどん詰まりには変わりないが、ここはそんなことを吐露する場所ではないので、生々しいプライヴェートは省く。みんな、めげてもそれなりに生きてゆこうね‼︎

最近、二箇月連続して関西に舞い戻ることがあったので、その道中、谷崎の『細雪』を頭から再読。漱石の『明暗』もそうだったが、長編であり、また一貫したストーリィがあるものでもないのに、エピソードがいちいち面白い。また、意外に理屈っぽい書き方も中々メリハリが効いているし、単なる「美しい日本」を情緒的に書いた小説だけではない、心理と情景とそして人間関係が輻輳していて尚面白い。

詳しい感想は、また折に触れて詳しく書けるなら、書きたい。

 

とは云え、春だ。

新年度でもあり、皆何かを始めたくて、また、仕方なく始めることを強いられている人も多いだろうから、こちらとしても、もっと自発的に何やら始めたいと思う。このブログを不意に書き出したのもその一環だ。

一昨年から参加している文芸同人にも最近担当で一作提出した。

その出来が案の定、あんまりにもあんまりだったので、その改稿と、個人的には長編を書き上げたいという文字どおり眠りながら見る夢のようなことを宣言して、今回はこの辺で切り上げようと思う。

皆様、早すぎたと言われている春をお愉しみになられんことを……。

 

何時の間にか、秋

すっかり秋だ。

関西に住んでいた頃は、まだまだ暑いなと感じていたが、実家辺りでは、極端に寒いと云う程ではないにせよ、朝夕は肌寒い。

9月の中頃に風邪を引き、それ以来身体の調子が優れず、一旦そうした変調があると今までしようと思っていたことすらも、結局等閑になる悪い癖が出て、今日の今日までこのブログもサボってしまった。

しかし、いずれにしろ自身の日記、記録として投稿している為、他の皆々様にとっては、毒にも薬にもならない内容なので、何処にも影響はないから良いと云えば良い。誰もいない森の中の湖畔で、水面に石を投げているようなものだ。

昨日今日と、日本人のノーベル賞も医学・生理学賞と物理学賞と二人も受賞し、盛り上がるのは結構なことだ。正直、安易に較べるべきではないのだと思うが、オリンピックよりも良いことだと思う。全く個人的な意見であることを重ねてお断りしておく。

TPPも閣僚級では大筋合意と云うことで、日本の産業・経済界にも話題は事欠かないようだ。第一次産業ばかりでなく、例えば金融等でも、外資の日本への流入がいままでよりも活発になるのだろうか。ゆうちょとかんぽも来月には上場するとのことだが、その株式もまた外資に買われるということもあるやも知れない。それが種々の人々にとって、どう作用するかはまだ未知な所だ。

自己の読書計画も、取り敢えずは遅々としながらも、一応の区切りに近付きつつある。今思うと、電車での通勤と云うのは、結構読書時間が取られていたのだなと改めて思った。自動車運転しながら残念ながら文字の本は読めない。

現在は、山田正紀『最後の敵』(河出文庫)を読んでいる。感想はまたその気があったら、このブログにも書き留めるかも知れない。そうしたら、多少は他者への価値も出るか……。

情報もまた摂取するだけでなく、たまにはこうして、益体もないことでも形にして出すことで、まァ、自分自身として考えたことになり、多少は血肉となるのだろう。書くことが考えていることになると最近ネットで読んだが、そうでありたい。

 

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何時もの休日

晴れて、洗濯をするには丁度良い一日だった。

カレンダー通りの休日なので、何時ものように家の掃除をして半日が終わる。トイレ、廊下、玄関とそうそう手の込んだことをする訳ではないので、大して時間は掛からないが、徹底的にやろうとしても切りがないので、その辺りの加減が難しい。

まァ、根が怠惰なので、最近は適当な所で済ませてはいるが。

田舎の所為か、交通機関大してなく、また文明圏(?)までは自動車がないと出掛けることが出来ない。そして今日は使える自動車がなかったので、終日家にいた。

やることなら山のようにある筈なのだが、特に済まそうと云う気も起こらず、何時ののように時間があれば本を読んでいる。

最近は、高村薫レディ・ジョーカー』(新潮文庫)、漸く下巻に這入った。また、その内に感想でも書くかも知れない。

個人的な読書の予定は3冊くらい先まで決まっていて、別段暇をすることもないのだが、暇つぶしの為の読書と云うのも、自分にはないので、詰まりは暇な時とは自由に動ける限りにおいて、人生には存在しないことになる。結構なことではないか。

……と、何時もの休日を振り返ってみても、大して面白くないので、今回はこの辺りで。何時でももっと内容のある、読んで面白い記事が書けるよう精進したい。

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人の情念と時代の怒濤ーー山田風太郎『魔群の通過』感想

今日は晴れて、昼間はじっとしていたら何だか暑かった。

それでも立秋も過ぎ、9月に這入って、もう直ぐ彼岸だ。ぐだぐだとしていたら、その内秋になり、聞こえている蝉の声も気がついたら聞こえなくなってしまっているのだろう。

暫く前に、『日本のいちばん長い日』に続いて、山田風太郎の『魔群の通過』(ちくま文庫)を読了した。

幕末、佐幕か攘夷かに割れた水戸藩の内的混乱と、血で血を洗う復讐劇へと到った、水戸天狗党の長征、そしてその顛末について、名匠・山田風太郎が、独自の時代小説として描く。

山風の小説としては、伝奇的要素が少なく、史実に比較的忠実と云う面でも珍しい。

しかし、御存知の方も多いと思うが、山風は史実を充分加味した上で、奇想天外な物語に仕立てているものが殆どだが。

確かに、水戸天狗党の絶望的とも思えるこの強行軍に、超絶の忍法等は絡んでこない。不老長寿の人物がいたり、死んだ筈の者が実は生きていたと云うこともない。

だが、その本編に流れる無残さ悲惨さと、 水戸藩ばかりか、徳川権勢下、そして明治の世に亙る怒濤のような混沌的勢い。そして最後には、そうした大局的な情勢が、個人の情念にまで収斂し、最後には文字通り、そして誰もいなくなると云う、山風の作品に付きものの蕭条たるラストにおいては、まさに唸るしかない。

水戸藩と、佐幕攘夷を巡る幕末の世情が、遂には個人の情念へと収斂してゆく様は、時代は少し下るが、所謂明治ものの第一作に位置付けられる『警視庁草紙』とは、真逆な構成だ。『警視庁草紙』は主人公達の個人的な行動が、ラストにおいて時代の波に全て流されてしまう(或いは、主人公自らがその流れに身を投じる)様が描かれる。

そして、そのどちらも、怒濤のように個人を押し流すものとは、詰まりは戦争なのだ。

佐幕と攘夷の対立による党派争い、西南戦争ーー血で血を洗う内乱は、両者に共通している。しかも、『魔群の通過』は、最後天狗党の残党による水戸藩内の諸生派への報復となり、その親族に至るまで虐殺の酸鼻を極めるのである。これぞ、正に、最終章の章題ともなっている「討つも又討たるるも又」の一言が端的に表していると云って良い。

爽快感とは程遠く、悲壮感とも云えない、惨状の果ての憾み、そしてそれを見つめる作者と、語り手の語られざる心情こそ、余韻となって、イデオロギーと個人的情念の惹き起こす人間の業をしみじみと読者に体感させる、山風にしか書き得ない(山風の作品はどれもそうなのだが)、逸品である。

作者の描く人の思い、行い、そして業を読む度、これも名作『戦中派不戦日記』の前書きの一節を思い出す。

「人は変わらない。人のすることも、また」

 

 

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最近の天候

毎日書く積もりが二三日空いてしまった。時間が取れなかった訳でもない。単にやる気の問題だ。しかし、大して内容のないこと、実に個人的な日々の記録をメインにしているので、そう気張るものでもない筈だが。

昨日は、久々に暑かった。自宅は標高の高い所にあり、職場はもっと標高の高い所にあるのだが、屋内業務とは云え、窓を開けていただけでは汗ばむくらいだ。

ここの所、雨若しくは曇り続きであったから、洗濯物もよく乾いたことだろう。

一昨日など、夕刻外を歩いていたら、突然雨に降られたりする不安定な天気だった。

しかし、未だ秋雨前線が停滞しているので、週末にはまた天気が不安定になる様子。それにしても、仮令日中が暑くなったところで、矢張り朝夕は涼しいのだが。

以前に住んでいた関西では、10月にならないと(大学の夏休みが終わらないと)涼しく、秋らしくならなかったようなきがする。標高と気候の差か。

そうは云っても未だ半袖だし、9月の半ばまでは今のような暑かったり涼しかったりするのだろう。寒さ暑さも彼岸までと云うが、早いもので彼岸も直ぐそこだ。

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