奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

近況と云うか、面白くない人生について

話題は恐らく、掃いて捨てる程あるのだが、掃いて捨てる程度の話題しかないのが、自分の生活の難点だ。

日中は暑くなってきたのだが、朝夕、そして夜は寒い。体調を崩す人も出てくるのも道理だろう。皆さん( このブログをお読み下さっている奇特な方がいるとしてだが)も体調管理には充分に注意されたい。

 

某都の都知事が、政治資金に関して、公私混同しているとか、もう直ぐG7の伊勢志摩サミットがあるとか、メディアのテーマはその辺りが中心だ。不明瞭な答弁や、謝罪やエクスキューズする気のあるのかないのかよく判らない「謝罪会見」やら、まだ始まっていない国際会議について、特段どうこうはないが、東京五輪は一度見直して、その運営費を、熊本の復興、且つ、あの規模の地震は、日本各地何処でも起き得る為、その対策費に当てるべきではと思う。正直、阪神淡路大震災及び東日本大震災の教訓が、活かされているようには余り思えない。直近20数年内の出来事から学ぶことも、この国や国民の一部は出来ていないのかとさえ思う。

 

……おっと、柄にもなく真面目な、それも、多くの人が思っているだろうかなり一般的な意見を書いてしまった。要は、人生不測の事態は大なり小なりいくらでも起き得る ので、出来る限りそれに備えて生活したいものですねと云うことだ。自分自身だって、何時身体が動かなくなるのか判らない。先のことは、正に神のみぞ知る ——詰まり知り得るもの等いない——のだから。

 

存外、ネガティヴなことを垂れ流し的に書いてしまった。まだ、読む人の立場を気にして、ブログを面白可笑しく、しかも含蓄さえあるように書くことが出来ない。そんな積もりあるのかとツッコミがありそうだが、正直多少はあると小声ながら云っておきたい。面白き事もなき世を面白く……と、高杉晋作も詠ったそうである。死ぬも生きるも一定……と覚悟せよとは自分も思わないが、詰まらない日々を、何とか詰まるように(勿論、人生詰むと云う意味ではない)、試行錯誤と創意工夫で面白くなるようにしてみたいものだ。特段のスリルやリスクは、そこには必要ない筈である。

 

何だか本当に取り止めもない文章だが、ご寛恕頂きたい。もっと、もっと、面白くなるように、おらも頑張るからさ。

 

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「ホビット」で暮れたゴールデンウイーク

ゴールデンウイークもいつの間にか終わり、平常運転に戻った週もまた終わろうとしている。こうして、今年もあっと云う間に半分が過ぎ、全部が過ぎてしまうのだろう。毎年毎年結構なことだ。

 

ゴールデンウイーク中に、計画の一環として(そんな大したものではないが)、ピーター・ジャクソン監督の「ホビット」三部作を観た。

トールキン読者であり、先の劇場版「指輪物語」は映画館で観たのだが、「ホビット」の方は、公開時、多分色々ある頃だったので、結局映画には行かず仕舞いであったのだ。それをこの機会に、全部まとめて視聴したと云う次第。

指輪物語」は原作を端折って端折って、三部にまとめたと云う印象があったが、「ホビット」の場合は逆に、原作では描かれていなかった、もしくは仄めかされていた部分を継ぎ足して三部作にしたと云う印象。

まァ、個人的には「指輪」も「ホビット」も愉しめたと云うのが、正直な感想だ。ただ、家で観ているにしても、結構長くは感じた。退屈はしなかったけれども。

 

ホビット」で一番原作よりも継ぎ足されていたのは、次回作「指輪物語」で重要となってくるサウロンとその軍勢の復活だ。

 原作では、当時、打ち捨てられたドル・グルドゥアの砦には、ネクロマンサー(死人占い師)が密かに巣食っているとされるくらいであり、五軍の合戦に参戦するオークの軍勢も、マークウッドの地底のゴブリン王国の軍団だったと思ったが、映画では密かに招集されたサウロンのオークの軍勢になっていた。

また、ガンダルフや、サルマン、そして三つの指輪を夫々持つエルフがドル・グルドゥアに攻め入る等、サウロンの復活がよりクローズアップされていたし、それが原作の、どちらかと云えばお伽話的にほのぼのとしていた雰囲気を、一点シリアスでスペクタクルなものに変えている。

また、茶の魔法使いラダガストも、独自のキャラクター付けをされて活躍した。気付けキノコの吸いすぎで、若干トランスめいたり、ウサギの引く橇に乗っていたりと、中々愉快なキャラクターになっている。自然を愛し、観察し、共に暮らしているという設定を上手く膨らませていた。

一方、ビヨルンは余りキャラクターとしての深掘りがされておらず、少し残念に感じた。クマに変身出来ると云う強烈な個性を持ち、旅のドワーフホビット、そして魔法使いを歓待してくれたシーンは、原作では愉しい場面だった。

 

……と、取り留めもなく書いてきたが、矢張り一つの記事では書き足りない。また、その気があれば、思いついたことを書くこともあると思う。

長かった所為で、一日二本観るのは、少々きつかったが、総じて面白かった。レゴラスの活躍もあったし。

 

作者が、類まれな想像力と、それを形にする創作力を持って、読者の想像力を刺激し、その架空の世界に迫真性を与えることを堪能するのは、優れたファンタジーを読む醍醐味である。それと同じく、迫真性を持った映像世界を愉しむこともまた、同根なのであろうと思う。

 

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連休の感想——或いは「けいおん!」五話

連休が終わり、平日だ。——と云っても、明日からはま普通の週末なのだが。

中には先週末からずっと連休の方もいるだろうが、自分のように自堕落な人間は、休日ともなれば引き籠って外に出ることもせず、しかも運動嫌いなので、なまじ、普段通り仕事へゆくと、大抵疲れる。主に肉体的に。全く肉体労働等ではないのだが……。

 

だがしかし、三日から五日の端午の節句に掛けては、始終在宅しゴロゴロしていながらも、家事や諸事、また観たい・観ようと用意していた映画やらドラマやらを消化することだ出来て、事前の計画の7割くらいは達成出来たのは、結構な成果だ。

それは、端から見れば暇潰しの範疇なのやも知れないが、気を抜けば午睡ばかりしてしまう自分の休日を、そうした緒行為に当てられたのは、三十路を過ぎて成長した証左か。……多分違うだろうが。

 

なので今日は、昨日録画しておいた、NHKBSプレミアムで再放送している「けいおん!」の五話を観て、夜を過ごす。

けいおん!」も、今観ても大変面白いが、多分に懐かしさを感じずにはいられない。まだ六年前なのか、もう六年なのかは、夫々の判断——と云うか実感に拠るところなのだが。

 

この三日からの三連休中には、劇場では観なかった「ホビット」三部作を観た。以前も書いたが、ラダガストの活躍と云い、ドル・グルドゥアのクローズアップのされ方と云い、正に盛り沢山だ。感想は、またその気があれば、後日当ブログでも書きたい。

 

それでは、皆さんに良い週末を。僕は五月人形を片付ける予定です。

 

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連休中日——或いは呉茂一『ギリシア神話』について少し

連休も折り返しと云うことらしい。

時間はあるが銭のない連休程虚しいものはないのだろうが、独り上手で引き籠り上手は自分は楽しくやっている積りだ。

ただ、BDとPCとスマホの為か、昨日から偏頭痛が少しして鬱陶しいが……。

 

今朝方は雨が降っていたが、日中には直ぐに晴れて、外出するには良い気候だと思ったので、午後にはレンタルしたブルーレイを返しに出た。

しかし、それが迂闊だった。この時季になっても、未だに花粉は飛んでいるようだ。出先でも、こうして帰宅した後でも、洟が引っ切りなしに出て仕様がない。何か早速、汚らしい話で御免。

一年を通して花粉症だと云う人もいるようなので、咽喉のいがらっぽさや眼の痒みを加味すると、目薬やら、点鼻薬やら、場合によっては服用する内服薬やらが必要になってくる。自分の場合、一番必要なのはローション・ティッシュで、愛用しているのは「エリエール贅沢保湿」だ。

暫くはまだ、この私かな闘いが続くものと思われる。気と頭が何だか思い……。

 

連休前に立てた予定は、大凡消化出来たが、読書計画が前も書いたように遅滞気味だ。

芥川の「地獄変」は、短編と云うこともあってか読了した。感想等はまた機会があればいずれ。

それが以外が、中々進んでいない。まァ、ノルマでもないので、無理して進める必要もないのだが、折角まとまった時間が取れるのだから、何時もの週末のようにダラダラとせず、有効に使いたい。俺って大人——。

今緒に就いたのは、呉茂一『ギリシア神話』(新潮文庫)だ。全一冊の箱入りを、古本で持っていたのだが、引越しの際に手放してしまったので、文庫で買い直した。

内容は、勿論ギリシア神話の概説と云う側面もあるが、それは一要素であり、ヘシオドスの『神統記』や、ローマ時代のオウィディウス『変身物語』等からの適宜参照があったり、また関連項目が、その都度、章や節が示されていたりと、只の概説書に留まらない、資料的な本である。

一読、通して読むのは無論のこと、索引等も充実しているので、必要な際に引く辞典的役割も強い。長く、読まれているだけのことはあるし、これがまだ新刊で、しかも文庫サイズで読むことが出来ると云うのは、便利で幸福なことだ。

 

と、そんな調子の連休だが、ブルーレイをレンタルしたりと、意想外に出費があった。五月は自動車税も課かってくるので、財布の紐はもっと引き締めてゆきたい。

 

皆さんも、残り良きゴールデンウィークを。

 

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出版界に貢献しない読者——最近の読書について

自分は、余り現在の出版界に貢献する善良な読者ではない。

読むものと云えば、既にパブリックドメインと云うか、作者が亡くなって50年経って、版権フリーになっているものが主で、しかも気に入れば、小口が手垢で黒くなる程、繰り返し読んだりする。

面白そうな新刊を探し当て、次々に読破してゆくタイプの読者には、全く頭が上がらない。

今、興味の対象と云うか、諸々諸事情あって——と迂遠に云っても当然全く個人的なことなのだが——読んでいるものと云えば、谷崎と芥川と云う、え、そう云えば喧嘩とかしていましたよね同時代人ですしと思わず吐いてしまいそうな取り合わせだ。

 

自分は谷崎ファンではないが『細雪』ファンだ。嘗て関西に住んでいたが、その動機の一端は、往年に件の小説を読んだからと云っても過言ではない。

去年は彼の大作家が亡くなって50年と聞く。新版の全集も刊行され始めた。また、先日関西に行く機会があったので、長い道中、『細雪』を読んだ。大筋の面白さと云うよりは、情景描写の情緒さよりも寧ろ、結構理屈っぽい文章を意外に感じる。勿論、そこが面白さの一因であるし、谷崎の藝の多様さでもある。関西在住の頃の思慕が蘇ってくるのは、至極個人的な読み方に過ぎるが、読書は、基本的には個人的経験である。

今まで『細雪』以外は関心が薄かったが、これを機に、参考として手を出すのも選択肢かと思う。『台所太平記 』とか。

 

また、芥川も、特に熱心な読者と云う訳ではない。只、ある種の藝術家の書き方の参考として『地獄変』を今読んでいる最中だ。芥川の文章にはリズムがあるので、それが非常に読み易さを感じさせる。それもまた、藝であり才であるのだろう。

『歯車』や『或る阿呆の一生』等が結構気に入りだったりするのは、ちょっと内緒だ。

 

斯様に、青空文庫でも読める・いずれ読めそうになるものばかり読んでいては、出版界に貢献出来ることはないかも知れないが、それはまた別の機会に話したい。その気が此方になればだが……。

 

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皐月の始まり——或いは宣伝

いつの間にか皐月だ。

近くの田圃にも水が引かれたのか、もう蛙の鳴き声が夜になると聞こえる。

別に、聞き慣れていると云うか、単に田舎だと再認識するだけで、特段情緒や時季的な風物だとも感じる訳ではない。盆暗だから仕様がない。

 

昼間は少し外に出ただけで汗を掻くが、夜になると涼しい。風邪も引き易いが、ともすると過ごし易い気候なのかも知れない。桜もいつの間にか緑色になり、山の中ばに点々と煙るように咲いているのも、別に愛でる程の風景でもなかったので、惜しくもないが。

と、野暮で、露悪的な文句から始めたが、こうした抽象的で何が云いたいのか一読判然としない文章だと云うことは、今回の記事に大したテーマがないと云うことだ。

 

三連休も終わり、日常のドメスティックな仕事は、前から計画していた通りに片付いた。家の水回りの掃除もしたし、以前も書いたが五月人形も飾った。後は、今月課税されるであろう自動車税を待つばかりか。自動車と云ったら、足回りも塩カルで錆び始めていそうなので、そこだけでも洗浄しなければならない。明後日以降の予定が一つ出来た。

 

こうして極めて個人的な報告をしていても、読んでいる方々も大して楽しくはなかろうかと思う。書いている方も、まァ個のブログなのだし、始めたばかりでスタイルも何も確立しておらず、SEOとか、アクセス率とか、況してや気休めに載せているアフィリエイトでどうこうと云う意識も希薄だ。

今は、取り敢えず続けてゆくが、そして、一部でも良いので、大したテーマ等なくとも只読んで面白いと感じて下さる方がいるような文章を書く為の修練の場だと位置付けている。

そんな習作を世界に公開するのもどうかと思うが、読まれているかもと云う客観を意識することが大切なのだろう。

 

文章で思い出したが、別にブログを作り、断片集として小説——と云うか小説みたいな文章、それも短い文章を公開してみようと思ったので、始めてみた。

漠然としたイメージを具体的に、まとまりと意味のある言語にしようとする試みだ。

本当は、以前同人誌等に発表した拙作を載せようとしたが、文章量が多くて、ブログ形式だと見辛いので今は控えている。その内良い方式、フォーマットがあったら、それもしてみる積もりだ。

 

ともあれ、件の断片集「小説の奥津城」を、まだ一編しか投稿していないが、是非合わせてお読み頂ければと思う。 宜しくお願い致します。

——最後は宣伝になっちゃったね……。

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卯月も今日で終わり——あと「スターウォーズ エピソード7」とか

四月も今日で終わりだ。

昨日に較べて風も強くなく、天気も良くて、活動するには結構な気候だった。と云っても、連休だから何処かへ行くとか、何かレジャー的なことをすると云った訳ではない。

家内の一部を掃除し、時季の相応しく五月人形を飾った。特にどうと云うことはいので別段写真等を載せないが、一家揃って余り季節的な行事に参加し、節目、節句を祝おうとする家風ではないが、それでも、雑然とした座敷を少し片付けて、仰々しく飾ったら、それなりに端午の節句というか、それも含めたゴールデンウィークが近い感じがしてきたと云うか、そんな素朴な情緒が出てきた気がする……。

 

とまれ、我ながら精力的に活動した後、近隣(車で約20分)のTSUTAYAへ行ったら、「スターウォーズ エピソード7」が新作で貸し出されていたので、うっかり(?)レンタルしてきた。

随分前からなのだが、映画がソフト化するのも早くなったものだ。半年でソフト化も早いと思ったのに、5箇月程で既にソフト化して店頭に並ぶとは、おそらく昔と収入の形態が変わってきたのだろう。憶測だが。

 

ところで「スターウォーズ」だ。

劇場で一度観たが、その時は最初少し醒めた眼で鑑賞していた。しかし、旧作を彷彿とさせる 画や、特に「新たなる希望」を意識した展開等で、まァ、シリーズファンとしては途中から中々夢中になって観ていた。

そこまで「新たなる希望」を意識しなくてもーーと感じなでもなかったが、何所かでデス・スター的なものが出てくるだろう、とは途中から予想していたが、巨大人工衛生のデス・スターを更に巨大にして、惑星全体を兵器兼基地にしてくるとは。

何でも規模を大きくすれば凄いと云う判り易さが「スターウォーズ」っぽいよね。

しかしながら、それだけの規模の兵器兼基地を建設する費用、資材、その他諸々を、ファースト・オーダーは何処から入手してきているのだろうか。旧共和国時代の分離主義企業のように、スポンサーがいるのだろう。勿論、そもそもの本体は旧帝国の残党なのだろうか、ファースト・オーダーに出資する利害関係者がおらんことには、費用も、人材も、物資も中々調達出来るものではない。

ストーム・トルーパーには、嘗てのクローン兵ばかりでなく、誘拐同然に強制徴兵した普通のヒューマノイドもいるので、若干旧帝国期よりは規模が縮小してはいるのだろうが、その背景や運営体系が気になるものだ。

……と、そんなところにも突っ込み——もとい、想像を巡らせてしまうのが、シリーズの魅力なのであろう。だから、スピンオフ小説や、正史的には新たな映画が始まってしまって、無かったことになっているような(?)、旧三部作のその後を描いた「ニュー・ジェタイ・オーダー」のようなシリーズ小説が生み出されたのだろう。

既に「スターウォーズ」自体が一つのブランドであり、産業であり、今風に云えばコンテンツであり、余り正しくなはいかも知れないが、多くのライターが関わっていると云う点ではシェアード・ワールドのような要素もあるやも知れない。

本編にはここでは特に触れなかったが、またスピンオフ映画や来年には早くもエピソード8が公開されるそうだ。色々とディズニー、ドリームワークスさんはあの手この手で広告宣伝を打ち、話題を作り、我々を楽しませてくれるのだろう。

今作「エピソード7」は、「新たなる希望」を多分に意識し、なぞり過ぎている嫌いがあった。次回からは、何処までプロットもオリジナル色を出してゆくのかが注目される。もし、ルークがレイに修行を付けて、その最中に何らかの理由——例えば目覚めたフィンのピンチを幻視するとか——で修行を途中に放棄して飛び出して行ったとしても、ルークなら止めはしないよね? と云うか止めたら皆ツッコむよ。

 

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