奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

習慣にしたい、ブログくらいは……。

正味な所、特に内容に拘らなくとも、文章の練習も兼ねて、折角ブログをやっているのだから、毎日書いた方が良いのは明らかだ。本来なた、一つのテーマ、やったことや読んだ本、観た映画や聴いた音楽等の感想等に絞って書いた方が、アウトプットも兼ねていて、インプットを書き手側の血肉とする好機なのだろうが、取り立ててテーマもない。そりゃあ、本は毎日読んでいるが、読み切って、尚且つそこから汲み取ったものを伝達する為に加工するのは、時間と労力が掛かる。そして、自分は実に怠け者だ。

だから、大抵ここでは最近読んでいる本の広告を貼ってお茶を濁している訳だ。

と云っても、ネットが個人単位にまで普及し始めた90年代に、既にパソコン通信を始めて今でも個人のホームページに日記を掲載している知人等は、本当に毎日の出来事を軸に書かれている文字通りの日記だ。ただ、そこには時事的な話題にしろ、最近を読了した本についてにしろ、書き手の鋭い考察、感想、その他が表れているので、流石なのだが。

書くことについて上達したいと云う気持ちはあるものの、こうしてブログなりで拙文を世界に向けて発信してしまうと、それだけで満足してしまうのも危険な心理だ。実は、文芸同人にも参加している。年に一冊同人誌を出すのだが、希望すれば拙作を掲載して貰える。それだけで、拙作の出来具合、その巧拙如何に関わらず、そうなってしまえば、こちらは一仕事終えた気がしてしまう。同じように、これも危険な心理だ。それは、成長や上達を著しく阻害すると云う意味で。

形あるものが眼前に提示されれば、どうやら満足してしまう怠惰な傾向が自分にはあるらしい。らしいと濁したのは、結局完成品として提出したものを読み返すと、粗ばかりが眼に付いて製本された同人誌にすら赤入れをしたくなるからだ。だったら、草稿の段階で出来得る限り推敲しておけよと云うことなのだが……。

……と、柄にもなく弱気なことを書いた。これが内省になっていれば少しは救いだ。表現と伝達は、被る部分もあれば、そもそも言葉が違うが故に異なった概念だ。そこが自分にとっては、非常に難しい。他者に伝えたいことがあるのかと自問すれば、具体的且つ明確な答えは、今の所持っていない。だが、表現欲求は、まァ、それなりに持っている。それは自慰だろうと指摘されれば、うん、とも、はい、とも肯定するのに吝かではないのがネックだ。

すると表現する者は、作り手と批評家に分裂してることに越したことはない。嗚呼我ながら凡庸な意見だ。大方そうなのだろうけれども。しかしそれ以上に、書くことと書き直すことを習慣化することが肝要だ。それは凡庸かも知れないが、重要だ。

習慣が、どうやら生活、延いては人生を形成するらしいから。

 

 

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