奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

MarsEditが連携出来たので……

 MarsEditではてなブログが連携出来ていないと先の記事で書いたが、以下のサイトを参考にしたら出来た。多謝。

はてなブログをMarsEditで使う設定方法【AtomPub:BASIC認証】

 日々暑くなり、酷暑と云える程、最近特に余裕が出てきた訳でもないが、性懲りも無くブログを新たに再チャレンジすることにした。日記は毎日附けているのだが、もっとデジタルで、纏まった形の記録を残せないかと考えた結果だ。

 と云うことで、エンタテインメント性には甚だ乏しいブログになると思うし、日々の出来事よりも、文字通り取り留めもない《雑感》が主になるだろう。

 しかし、そうして頭の中を無為に彷徨っている表象の多様に一定の形式を与え、有意味なものにするには、文字によって文章の形を取るしかない。

 そうした、極々人間的で当たり前な営みの自省的行為として、少なくとも管理者である僕自身は愉しんでやってゆきたいと思うし、事実こうして独り善がりに取り留めもない抽象的なことを書いているのは、正直結構愉しいものだ。

 大体、読書は趣味ではない。意識して時間と労力を捻出し、愉しみの為に行っているのではなく、それは食事と同じであり、延いては呼吸と一緒だ(それは云い過ぎかもしれないが……)。

 つまりは習慣の一つだと云うことであり、そこに明確な目的などない。

 だが、インプットばかりでは保たないのもまた、人間と云う存在形式の厄介な特性だ。才能と努力が実った者は、それによる青果物が他者をも愉しませる、もしくはその生活、人生に貢献するものを生み出すことが出来るのだろうが、生憎、僕はその域ではなく、またそうした星の下にも生まれていない。出来ることと云ったら、そうした偉大な彼ら彼女らを統制的目標として、少しでも近附いてゆこうと努力することである。

 大上段に構えてしまったが、統制的目標を持って不断に行い続けることは、実は神に、或いは超越者に祈ることと同じく、崇高なことではあるまいか。

 とは云え、本来このブログは、(殊に管理人たる僕が)気楽に愉しむものである。良きアウトプットであるよう、祈るように努力する。

 祈りは超越者を補助線とした、自己との対話だ。