奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

永遠のR2-D2——或いは最近の読書について

ケニー・ベイカーが亡くなったのは、ちょっとショックだ。

無論、自分が一番かの俳優に親しんだのは、顔出しすらしていなかった「スター・ウォーズ」シリーズなのだが、彼の演技が、あのユニーク且つユーモラズで、最も頼りになるR2-D2に生命を与えているのは、映画史に残る偉業だろう。

それは、「スター・ウォーズ」が、大人ばかりか子供も夢中になれる作品であることもまた、重要な要素だ。映画と共に、R2は子供の心に一生生き続けることになる。

 

以前、クリストファー・リーが亡くなった際も大いなる悲しみだったが、贔屓にしている有名人の死と云うものもまた、その年齢に関係なく、悲嘆を招く。

 

そうこうしている内に盂蘭盆会も明けた。お墓参りに行ったりはしたが、仕事柄休日はカレンダー通りなので、何時もの休みのような気がした。ただ、八月の第二週は、山の日があったり、夏休みで実家に帰省した友人に、有給を取って会いに行ったりと、色々していて忙しかった気がする。

その中で、迂闊にも、自分の粗忽さの所為で、思わぬ所で足を掬われたのだが……。

 

読書の方は、余り計画通りに、と云うか、目下計画を立てる所まで行っていない。『女系家族』等、中途で置いてあるものも幾つかあるので、それを優先的に読みたいが、気軽に読めるエッセイ等に走ってしまう。

また、以前参加している文芸サークルで発表した作品を改稿する為に、参考図書があるのだが、それも触り程度にしか読めていない。時間の使い方を大幅に見直す時に来ているのだろう。

しかし、息をするように本は読むものだ。連続性はなくとも、何かしら一日の内で読んではいる。最近は文庫化した山田風太郎『風山房風呂焚き唄』(ちくま文庫)が座右だ。食、旅、読書、そして別荘である風山房をテーマとしたエッセイの一つ一つが、短くあるものの、ユーモアと、時にペーソスに溢れていて、可笑しみながらも、ほろりとさせられるのは、流石山風。

簡潔且つ豊かな文章とは、斯くものかと感心すること頻りである。

 

まだまだ暑さが続くが、皆さんも良い本を読んで、より良い人生を送って欲しい。

ではまた。

 

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ハーラン・エリスンの思い出と新刊

世間は明日から盂蘭盆会だ。

そしてオリンピックと高校野球で話題は持ちきりだ——と思う。

残念ながら、お盆は兎も角、スポーツの祭典の方は何方も詳しくは知らないし、今後急に詳しく知ることもないだろう。エクスキューズをしておくが、別段これは二つの夏のスポーツの祭典をdisっている訳ではないので、悪しからず。

 

ハーラン・エリスンは、学生時代に 短編集『世界の中心で愛を叫んだけもの 』(ハヤカワSF文庫)を読んで、新刊も出ないものかと待ちわびていた作家だ。

コンベンションで当時既に大御所だったアシモフを捕まえて、「あんたの書くものは駄目だ」といちゃもんをつけたり、奥さんだか恋人だかを取っ替え引っ換え(品のない表現で申し訳ない)したりと、作家自身が独特であったと読んだのも、上の短編集だったか。

 

幾星霜かを経て、国書刊行会の〈未来の文学〉という叢書から、主にSF以外の短編集『愛なんてセックスの書き間違い』が出ると出版社の広告で読んだ時から、遂に新たな本がでるのかと胸を躍らせたものだ。

 

そして、今月、ハヤカワSF文庫の新刊として『死の鳥』が刊行された。

 

『世界の中心で〜』は、表題作も含め、粒揃いの一冊である。

世界の中心クロスエポンに閉じ込められている〈けもの〉。それは戦争を最大とする争いの中核であり、〈けもの〉と同調するかのように無差別殺人を繰り返し、裁判の席で人類全体への愛を高らかに叫ぶ男。この、時空を超えたリンクこそ、当作の醍醐味であり、それはメタファーという抽象を超え、実際的な暴力への具現化である。世界の中心には〈けもの〉がいる。世界の中心は飽くなき暴力である。しかし、それは高らかに、偽りなく、愛を叫ぶのだ。愛と暴力は世界の中心で表裏一体であり、同質である。

 

その他、宇宙人を薬漬けにして従わせ、地球に復讐に来るジャンキーの話等、ユニークなヴァイオレンスに溢れたセンス・オブ・ワンダーが愉しめる。

 

今作 『死の鳥』は、恐らく雑誌に掲載されたものを纏めたのだろうが、そこまでSF読みではない自分には、どれも未読だ。手許になく確認出来なかったが、『世界の中心で〜』と重複しているものもないと思う。最近、SFからも遠ざかっていた身としては、一つまたSFへと回帰してゆく良い契機となるだろう。

 

想像力は人間本性の能力である。そして、それが生み出す真に優れたフィクションは、イマジナリィでありながら、どこまでもリアルを変える程エネルギッシュだ。

 

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葉月初旬にてーー傾向と読書

何時の間にか夏だ。

わざわざ、はてなさんから、そろそろブログ来ませんかメールが届いたからと云う訳でもないが、取り敢えず更新してみる。ネタは探せば沢山あるものだが、それを加工して他者に発信出来る文章にするのが、困難だ。無論、文章に限らず、凡そ表現者は、この「困難」に妥協してはならない。

 

とは云え、今回、特に具体的なテーマについて書く積もりも準備もないので、またまた雑駁で抽象的あ近況報告でお茶を濁したいと思う。濁りがあるお茶が、本物っぽいとCMでも云っていた。嘗て。

 

先々月まで時折話題にしてきた参院選も終わり、続いた都知事選も終わった。

それに関して、殊更云々する積もりはない。当日までに何かあったらと心配なので、自分は期日前投票の初日に行ってきた。薄給でも所得税は納めているのだ。棄権等以ての他である。

 

夏になると、大手出版社が、文庫フェス(?)を行っているのは、毎年恒例だ。

去年は谷崎潤一郎が亡くなって50年が経ち、著作権が切れた。これから青空文庫にも続々テキスト化されるであろうし、最近では、角川文庫が、『細雪』を新装版で発売した。内田樹の新たな解説付きだ。中公文庫の全一冊、そして新潮文庫の三冊と合わせて、文庫としては三種が、現在入手可能と云うことだ。夫々表紙や装丁に赴きがあっていい。勿論、全部持っている——と云うか、気付いたら買っていた。

 

谷崎について、数年前に出た小谷野敦著『堂々たる人生——谷崎潤一郎 伝』(中央公論新社)も少し前に読んだ。著者が断っている通り、作品論は控えめで、伝記である。しかし、それが却って、谷崎の人生や当時の社会状況を浮き彫りにさせていて読み易く、興味深い。また、機会があれば、感想も書きたいと思う。

 

誰しも多少の差、内容の差こそあれ、対外的にも、ドメスティックにも悩みは尽きないものだが、別段、現実逃避ではなく、また、そこに積極的な解決策を見出す積もりもなく、只々、毎日食事をするように、更には呼吸をするように、本が読めたと思う。その為の「生活」は、死守しなければならない。

 

では、皆さん、夏風邪と熱中症にはお気を付けて、良い本を沢山読んで下さい。

 

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選挙についての雑感

個人的な日々な全く変化しないにも係わらず、世の中は何時になく、と云うか何時ものように急速に動き、変化している。

先のイギリスにおけるEU残留離脱投票とその結果も一つであり、投票と云えば、来月に控えている参院選もその一つだ。

 

参院選については、既に期日前投票を終われせた身としては、座して結果を待つしかない。因みに、個人的に、所得税を払っているので、自分は絶対選挙には行く。また、投票日当日、及びそれまでに何か行けなくなる事態が起こらないとも云えないので、期日前投票を旨としている。

以前は日曜日が休日とは限らない職場にいた所為か、期日前投票事態は、もう投票の手法としては、一般化してしまった感がある。

一つ老婆心を示させて頂くなら、比例区は、党名よりも個人名を書いた方が良い。党の公約、候補者のホームページや演説を調べ、これぞと思った人物の名を書いた方が、比例で思わぬ当選をしてしまう、申し訳ないが、本来的に国民の代表者たるには相応しくない人が、うっかり当選してしまうことを防ぐことに繋がるからだ。

ネット、新聞、その他メディアと、個人がリサーチするには限界があるが、公約と候補者の云っていることが反していないか、その公約、また候補者の唱える政策が自身の心情及び生活改善に本当に役立つのか、忙しない生活の中でも、一定の熟慮をしてゆきたいものだ。

一票は、自分個人の生活に実は密接に影響することは、幾ら衆院選とは見劣りする参院選であっても、云うまでもない。

 

政治の当事者、詰まり政治家の立場からすれば、政治の本質とは、権力を握ることである。しかし、その権力にタッチする為には、政策を提示し、国民多数の理解と支持を得なければならない。それが一応民主主義の原理だ。(民主主義の一面がマイノリティの黙殺であることは、また機会があれば感じたことを書きたいので、ここでは取り敢えず置く)。

その政策こそが、個人の生活に直接または間接に影響する。事実は常に多面的である。経済政策が奏功し、雇用が増える一方で、社会保障費は上がっているのである。一面を見てその政策に成果があった、詰まり個人の、自分の生活が良くなったと感じるだけでなく、バランス感覚を持って、複眼的、複数の面から複数の価値をそれぞれ評価して総合することが、大局的な評価に繋がるのだと思う。

 

無論、それには考える力、情報を集め、精査する力、そして分析し、結論を導く力が必要になる。そうした能力は、直ぐには換金出来ないかも知れないが、客観的視点、冷静な判断力、そしてそれらに基づいた実生活をより良くしてゆこうとする実践力が必要になるし、常にそれらを身に付け、ブラッシュアップしてゆけたらと思う。

思っているだけでは、不充分なのだが……。

とまれ、座して行く末を待つのは、極言すれば座して死を待つに等しい。むざむざ不利益の穴に滑落してゆくことのないよう、不条理を合理へと変える理性の力を鍛えるのに、選挙は良い契機ではあるまいか。

 

 

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谷崎「疎開日記」を読む

まとまった時間を取ろうと思えば取れるのがば、電車通勤でなくなって、本を読む時間は、比較的減少して久しい。

仕事が忙しいかと云えば、この御時世、そうであるに越したことはないのやも知れないが、今の所そうでもなく、家事もそうそう熟す必要もまたない。

しかし、まァ、読書とは呼吸と同等の行為でもあるので、気が付いたら、暇さえあれば何某か読んではいるのだが、まとまりのあるものを一冊読了すると云うことが、最近は少ない。

増えてゆく数冊を、ランダムにつまみ読みするくらいだ。

以前もそうだったが、そこで打って付けなのが、日記である。

嘗ても、「ゴンクールの日記」や、三島由紀夫『裸体と衣裳』等、日記を拾い読みしていた時期があった。現在は、谷崎潤一郎の「疎開日記」(『月と狂言師』中公文庫収録)をつらつらと呼んでいる。

先頃、関西への恋しさから『細雪』を読み、それが書かれた時期の、作家の生活を知りたくなったという理由も併せてある。

疎開日記」は、その名の通り、戦時中の作家の生活の記録だ。空襲で家人達を避難させた後、自分は『細雪』の続きを書いた等、創作の中心は件の進行中の作品である。

例えば、山田風太郎の『戦中派不戦日記』と較べて、戦時下の壮絶さというものは、山田日記程は感じて来ない。寧ろ、物質面、生活面では中々戦時下にあって、結構恵まれているのでは——と云う印象を受ける。実際恵まれていた方なのだろうし、それ故、泰然とまた淡々と状況を書いている。しかし一方、段々と日常生活が不自由になり、統制や禁止が増え、果ては進行中の作品の公開が、私家版であっても軍部の意向で発禁になり、空には、B29の編隊が飛んでいる——そうした否応ない戦時の状況下で、独り創作に打ち込むことは、幸運にも衣食住が何とかなっていても、並大抵のことではあるまい。また、昭和一桁の一般には暗い印象を持たれる時代を舞台に、美しく、且つ俗っぽいまだ平和な頃の、在日中の外国人とさえ 平気で交流できた頃の日本の 上流家庭の一風景を描くことが、作家にとってのある種のレジスタンスであったこは、論を待たないだろう。

しかし、そうして戦争を持ち出さなくとも、『細雪』は、意想外に理屈っぽい文章でありながら、時勢と伝統、聖と俗、情感と情緒を兼ね備えた豊かな傑作である。

疎開日記」は昭和20年8月15日、敗戦の日の玉音放送をラジオで聞いた日付で終わっている。しかしラジオの調子が悪く、昼12時の放送では、米英から無条件降伏の提案があったことが僅かに聞き取れたのみ。夜になって、奥さんから日本が無条件降伏した知らせだったと聞く。奥さんは泣いたそうだが、その際作家の心境は特に書かれていない。

 

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数十年振りの「マブゼ国」

水無月に這入って漸く2本目の記事とは、何とも情けない限りだ。

湿度に加えて気温も上がり、蒸し暑さに、息も絶え絶えになっている皆さん、如何お過ごしでしょうが? 体力のない僕は、平日夜になると、何だか足が痛みます。特に脛の部分が。筋肉がないからでしょう。将来の衰えが今から心配ですが、そこまで将来の自分の為に、嫌いな嫌いな運動をする気には、実はなれません。

そもそも、将来の自分の為に何かしたこと等、今まで一度たりともなかった気がします。

 

先日、帰郷して初めて、中学高校時代があった市の図書館を、数十年ぶりに訪れてみました。関西にいた時は、もう行くこともないと思い、貸し出しカードを処分してしまったのですが、再度発行してもらうことになるとは、そんな小さなことでも、人生予期した通りにはゆかないものです。そこが人生の愉快さであり、且つ不愉快さなのでしょう。「不」の打ち消し一文字で意味合いが変わってしまう、二つは陳腐な喩えで云うなら、コインの裏表という奴です。

そこで以前、当時からして、復刊も文庫化もすることがないと思われる本を、僕は愛読していて、今回、久しぶりに借りることが出来ました。

それは、数年前に亡くなった、北杜夫著『マブゼ共和国建国由来記』です。有名な「どくとるマンボウ」シリーズの一冊であるエッセイなのですが、自宅を国家と称し、紙幣や硬貨、国旗や国家、勲章まで造ってしまった、躁時期爆発の北先生の驀進・快心撃が楽しい一冊です。

そればかりでなく、エッセイに登場する作者の知人友人が錚々たる面々です。独立国家の想を得る契機となった、まだ当時そんなに有名でなかった、ムツゴロウこと畑正憲星新一遠藤周作。そして大長老たる埴谷雄高等々、今に名を残す、当時の文藝・文化の世界の著名人の名が、当たり前のように出てくるのです。

エッセイそのものも勿論面白いのですが、「文壇」(という世間が、当時も存続していたかどうか知りませんが)的コミュニティは、案外余人には計り知れぬ、愉快な巣窟であったのだと、羨望と憧憬を錯覚してしまう程でした。まァ、みんな変な人だったのでしょう。

独立国家構想はユニークですが、僕は株に手をだそうとまでは思いません。奥様の心痛お察し致します。

とまれ、件の図書館は、今行っても思った以上に充実していました。古い方ですが、全集等も多く、新しいところでは、河出が出している池澤夏樹個人編集の世界文学全集、日本文学全集も揃えています。外国文学の翻訳全集もあって、結構楽しめます。

ただ、些か遠いのが難点です。時間と、そしてガソリン代との相談が必要です。図書館利用自体は無料なのに、交通費で悩むとは、僕もまだまだ小人物と評する他ありません。

 

では、皆さんも入梅の頃、良い読書生活を。

 

 

探したら、Kindle電子書籍で読めました。イイジダイニナッタノモダナー。 SPONSORED LINK

早、水無月——気候とか選挙とか

ブランクが結構長く続いてしまった。

気が付けば水無月だ。

 

朝夕の寒暖の差が激しく、また、暦よりも暑さが早く来た所為もあり、梅が不作やら、色々影響を聞く。

最近、地元の消防団の練習で(消防団の大会と云うものは、六月にあるらしい)、夜間屋外にいるが、大変な寒さだ。昼間の暑さ、温かさの余波もあって、余計寒く感じるのだろう。何が楽しくて、こんな寒い思いをしなければ……と、皆思っているに違いない。

 

愈々、国会も閉幕し、参院選に向けて、実質選挙戦へと舵を切った政界だ。

各党が続々と公約(マニフェストという曖昧な用語は遣わない)を出して来るだろう。極論を云えば、何処に、また誰に投票するかは、それを熟読比較の上決定すれば良いと云うのが持論である。各党の代表、候補者は、云い回しさえことなれど、基本自分が所属する所の公約に基づいて演説している筈だからだ。

 

また、消費税増税は延期となった。何だか、「**ミクスの成果の信を国民に問う」と云う物云いさえ、数年前の選挙を思い出させる云い方ではないか。その文言が奏功したのか、大した投票率でもないのに、それでもルールに従って議席を獲得した自由で民主的な党とその連立が、経済は何処へやら、かの安全を保障してくれるらしい法を成立させたことは、ここでこそ思い起こされねばなるまい。

藝がないのか、常套だからなのか、自由で民主的な党の代表は、以前の衆院選前と似たような言説をここで表明されているようだ。スローガンが判り易いのは理解するが、「**ミスク」や「一億総火の……活躍」とか、ではなく、その為の効果的だとされる政策の実行、詰まり具体的にこれこれを、しかじかの方法で行う。その為の財源はかくかくの場所から確保する——と云えば良い。それが政策であり、選挙の際には公約であろうし、まァ、実際公約には書いてあるだろうが、そうしないと、真の意味で結果が出たのか、成功したのか否か、客観的に判断の仕様がないのではと思う。

客観的な評価基準がなく、主観的な言葉の問題に終始しているから、与野党共、与党と野党の評価に喰い違いが出る。それが、日本式の政治、国会の場でのゲームのルールだと云われれば、そうなのだろうけれども……。

 

話が取り止めもなくなった。また柄にもなく、妙に肩肘張ったことを書いてしまい、一寸後悔している。が、勿体無いのでこの儘にしておこう。

本当は、不真面目人間なので、先月28日の土曜日から、「ドキドキ!プリキュア」の再放送が、BS11で始まったとか、「魔法つかいプリキュア!」で、遂に三人目が出るぜ!! とか書けば良かったと思う。もう直ぐ春の映画のソフト化もするので、そのレヴュー——と云うか感想を機会とその気があれば書こう。

「ドキドキ」で思い出したが、本当に相田マナが総理大臣になればいいよ……。

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