奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

趣味的な文章

午前中、薬が切れたのでかかりつけの医院へ行く。

健康の話をすると、自分が歳を取っていることを大きく二つの意味で実感する。一つは身体が物理的に衰えてきたから。一つは自分の健康の話など、若い人々には関係の無い話題なので不用意に口にしたりしないようにしようという注意が発生するから。

コロナ禍で大変人々は沢山いるが、医療関係者はその最もたるもので、街の小さな医院でも受付時から一人一人検温し、アンケートをとり、色々と予防策を講じている。自分も周囲に迷惑を掛けない為にも、まだまだ気をつけようと改めて思う。

車を飛ばして大型書店へと久しぶりに行く。

ある検定を受ける為にテキストや問題集を検討、購入する目的。もっと近くの書店も先日巡ったが、品揃えが限られていた。通販サイトで購入してもいいのだが、プラクティカルなテキスト類は、実際手に取って見てみないことには自分に合っているのか判らない。決して廉くはない値段だが、一種類を選び購入。小説や人文書も見て回ったが、今月は既にお金を遣い過ぎているので諦める。人文書の棚が部分的に移動していて、慣れないと見つけにくい。書店の事情もあるのだが、頻繁に通っていないと不便な感じだ。

しかし大型書店に行くと気持ちが昂揚するのは良いことだ。

薬局で無事薬も処方してもらい、ナチュラル・ミネラルウォーターもしこたま買い溜めして帰宅。薬の効果は一応出ているらしい。まあ健康に関しては諸説耳にするが、リスクが予測されるのなら、可能な限り下げておきたいものだ。

一日中好天だったが、夕刻から寒くなる。

 

帰宅すると、注文した本が届いていた。ステープルトン『スターメイカー』とムーア『大宇宙の魔女』。後者は松本零士のイラストでは勿論なかった。古典SFの復刊など誰が読むのだろうと思いつつ、自分が読む訳だが、古典の重要なところは、いつでも読めるよう新刊が存在することだ。それ自体が難しくなっているのが問題なのだが。電子書籍、更にはきちんと対価が支払われるアーカイヴ化が待たれる。

 

今は昔、文学を論じるだけで社会を論じられる時代があった。文学は社会の表出だった。文芸時評が力を持っていた頃の話だ。しかし、当時文芸時評を担当していた文学者や著述家は、何も文学だけに精通していた訳ではない。凡ゆる文化・世情に詳しく、分析する慧眼を具えていた。

現在、それは難しい。2000年代、批評は趣味的なものという言説にはとても説得力を感じる。若い人が小林秀雄柄谷行人蓮實重彦を論じる文章を眼にしたことがあったが、それ自体は面白く読んだけれども、しかしその文章自体が趣味的なものだと云われたら、書いた当人でない自分ですら返す言葉が見つからない。

 

折角プラットフォームがあるのだし、趣味的であることを恐れずに、若しくは居直って、そんな文章を描いてみたいと思って日記めいたものを投稿した。