奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

時間・記憶・忘却、そしてトロピカる精神

正直、きらら系のアニメが好きだ。

ここで云う「きらら系」とは、女の子が面白おかしく、一生懸命に部活をしたりする日常系コメディアニメのことだ。

本日最終回を迎えた「トロピカル~ジュ!プリキュア」は、そうしたきらら系のアニメに特に似ていた気がする。そもそも「トロピカる部」という部活動がそのままプリキュアのメンバーと一致していた訳だし。

プリキュア自体は、過去作でも部活動みたいなものと表現されていたこともあった。それを更に深化させたのが、今作の最大の特徴だ。

それに加えて「時間」がキータームとなっている。

時間は過ぎ去ってゆく。そして主人公たちは成長する。もっとも年長だったあすかは、あおぞら中学を卒業し、高校へと進学した。他のメンバーも進学し、進入部員も増えたらしい。主人公たちは上級生になったのだ。

そしてローラも所属する人魚を始めとした海の生き物たちは、人間より遥かに寿命が長い。あとまわしの魔女が、伝説のプリキュアよりも長生きしてしまい、伝説のプリキュアの死を知らぬまま、自分が何をあとまわしにしているのかさえ、長い時間の中で忘れてしまっていた。時間は記憶と結びつく、そして時間は忘却を呼ぶ。人魚の国グランオーシャンには、人間と関わった人魚の記憶を消す装置がある。それはグランオーシャンの暗部として語られていたが、実はより短命な人間が先に死に、残された人魚がその悲しさを忘れる為に、記憶を消す装置が存在するのだと最終回で明かされた。時間は残酷である。そして良い記憶もそうでない記憶もいずれは時間の経過によって忘れてしまう。

しかし、それでも時間を止めることは出来ない。あとまわしにすることしか出来ない。愚者の柩は、時間を止める為のものではなく、天変地異を引き起こして世界を滅ぼす為のものでしかない。それでは魔女の願いも、人魚の悲願も、人間の希望も叶わない。

だが、そうした忘却や生き残されることを受け入れながらも、若い主人公たちは、自分が今一番すべきことに向けて直向きに取り組んでゆく。それが手垢の付いた言葉で云えば「青春」であり、時間が巻き戻らない以上、進む先は「未来」だ。

ところで、部活動に一生懸命取り組む姿は、笑いに満ちている一方、そうした別れと忘却を内包していた。だが、生きている限り、時間は進む。本来は、いつになっても、人間も人魚も海の生物たちも、生きている以上、その必然的で残酷な時間の流れの中で、今一番したいこと、しなければならないことを一生懸命、部活動取り組んだ時のように臨むことこそが、きらら系のテーマであり、「トロピカル~ジュ!プリキュア」が一年間を通じて提示してくれたトロピカる精神なのだと思う。