奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

春なのに……

弊勤務先では年度末だ。別段新入社員でも、転職予定者でもないので、特別な感慨はない。一年分の書類整理が面倒なくらいだ。

大江の諸作を読みながら、最近村上春樹ダンス・ダンス・ダンス』を読んでいる。『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』そして初期の傑作『羊をめぐる冒険』はある時期まとめて読んだが、その続編的位置にある当該書は買ったきり未読だった。4月には新作長編も出るらしいので、それにもちょっと触発された感じ。

大江と村上を比較しようとする意図は、特にはない。敢えて少し言及すれば、やはり村上の文章が圧倒的に読みやすいことだ。数日前に偶然見つけた村上のエッセイ『職業としての小説家』を少々再読してみたら、その性質やテーマ上とても読みやすかった。逆に歯応えを感じない程だ。無論、村上のエッセイが須く読みやすく、物足りないというのではない。『文藝春秋』に全文が掲載された父親との関係を描いた『猫を捨てる』、そして村上の90年代の転機となったであろう仕事『アンダーグラウンド』のとくに「あとがき」など、特に後者は今でこそ改めて読むべき文章だとさえ思われる。たまたま『職業としての小説家』の面白さが、今の自分にジャストミートしなかっただけだろう。その本がジャストミートするという言い回しは、大江によるものだが。

大江の死去に際して、『新潮』の2023年5月号が早速追悼特集を組んだようだ。恐らく目ぼしい純文学系の文藝誌は特集を組むことだろう。テレヴィの報道では、政治活動的な側面ばかりにフォーカスされていた。メディア映像に残っている大江の姿が、改憲反対運動集会や、原発再稼働反対デモを中心に露出していることが多いからだろう。しかし、短時間でそうした部分しか報道できないことが、つまり文学的実績について、テレヴィ的、映像メディア的にアプローチできないことが、現在の映像メディアの限界な気もする。もしかしたら、ネットで質の高い大江追悼特集が何処かで配信されているのかも知れないが。

 

昨日久しぶりに飲みかけのワインを少し呑んだら、寝起きに咳が出た。世の中にはアルコールに起因する喘息があるらしい。前回久しぶりに飲酒した時は大して酔わず、特に体調変化もなかったのだが、用心に越したことはない。物事との付き合い方も変えていくのが、歳をとることなのだろう。