奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

世界野球大会閉幕

世界野球大会は日本が優勝したらしいと社内連絡で知った。優勝記念の商品を発売すると社内メールが来たからだ。

日中は晴れやかで、乾燥もしていて、きっと花粉も飛散しているのだろう。年始から起こる肌の痛痒感が今日は特に酷い。暖かくなり、湿気も増えれば少しは治ってくれることを願いばかりだ。

帰宅すると、注文した本が届いていた。菊間晴子著『犠牲の森で 大江健三郎の死生観』(東京大学出版会)。若い文学研究者の博士論文の書籍化だ。傷つき死にゆきながらもこの世に回帰してくる亡霊性、そして「総体」としての超越的存在を中心にして大江作品を読み解く対著。しかもその射程は最近作や代表作だけでなく、デビュー作の「奇妙な仕事」から、結果的に最終作になってしまった『晩年様式集』まで全作品を網羅するという包括ぶりだ。しかも、第一部が、考えによっては『万延元年のフットボール』以上に大江の転換点となっている『同時代ゲーム』論に当てられている。四国の森を巡る神話の足跡を、著者は松山市大瀬にまで求め、現地に足を運んでいるのだ。数年前に刊行された山本昭宏著『大江健三郎とその時代 「戦後」に選ばれた小説家』(人文書院)などと共に、若手の研究者の大江研究がますます盛んになれば一愛読者として嬉しい。それこそ、大江作品が末長く生き続け、「私らは生き直すことができる」を体現する事象になるのではないだろうか。

 

大江の、特に後期の作品のテーマが、「信仰なきものの祈り」や「魂の救済」だとしたら、初期作品からその小説に通底しているテーマは、「暴力」だろう。それは、暴行、殺人、自殺、強姦……といった文字通りの、人間にとってプリミティヴな「暴力」だ。その最たるものこそ戦争で、「3・11」を経験して書かれた『晩年様式集』では、そこに放射能が加わる。人間という精神と肉体双方を破壊する暴力――それが大江作品に初期から通底するテーマだと読み取ることは容易い。

 

3月20日地下鉄サリン事件から28年が経つ。被害者の冥福、遺族へのお見舞いを記すと共に、テロもまた明らかな暴力であることは言うまでもない。暗い秘密の裏に存在する暴力を描きながら、それに晒された者、その関係者の恢復と再起を描く――それが大江文学の希望である。