奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

同人について

降雪があると言われていたが、一日吹雪くどころか舞うこともなく済んだ。

よんどころない理由で料理をしなければならないが、食材を買いに行くのが億劫だ。最近週末ともなれば病院がよいであったので、今日もそのつもりでいたのだが、幸というか、電話で常備薬の処方をお願いしたら承諾してもらった。午後に行きつけの薬局へ取りに行く。夕刻、空は灰色で風が強かった。

朝食に冷飯が一膳余っていたので炒飯を作る。食感は良かったものの、塩味が馴染まない。塩辛さだけが浮いている感じ。食塩の量が多かったのか、炒め方がよくなかったのか、炒める時間が足りなかったのか。市販の炒飯の素の方が完成度が高苦なるのかもしれない。

日中はうとうとして過ごす。最近本ばかり購入して足の踏み場もない。整理を始めているが、持っているはずの本が見つからない。「十二国記」既刊は全て持っていたのだけれども……。

夜は参加している同人の定例合評会。自分が作品提出担当だったが、かなり期限間際に提出して迷惑をかける。内容は、長編になりかけたものをぶつ切りにしたものなので大したものではなかった。的確で、丁寧なアドヴァイスをくれた同人各位には感謝しかない。

最近小説を書くと息切れがする。これは比喩ではない。本当に徒競走をしているような錯覚すら感じるのだ。こうしたブログを思いつくがままに書いている分には、そんなことを感じないのだが。

自分の文章、延いては日本語能力に以前以上に自信が持てない。同時に自分の想像力も枯渇(そもそもそんなものは無かったのかもしれないが)しているような気がする。もちろん単なる愚痴だ。毎日何かを書き、生み出すことの継続こそが真の想像力による創造性を鍛え上げうる。それは例えば大江健三郎も云っていたことだ。

「疫病」と「戦争」の時代だ。本日課題として提出した拙作に、主人公が大江健三郎

『芽むしり仔撃ち』について語るシーンを入れたのはその限りにおいても意味のないことではない。細かい部分で、今年2022年と件の小説に関して文章を書いてきたし、もっとまとまったものを用意したいと思っている。それはいずれ、最近オープンして、そして未だ放っておいているWordPress版の方で公開したい。したいことばかりだ。

最近、山崎豊子、その著作『白い巨塔』、そして映像化された際に主人公・財前五郎役を演じた田宮二郎に関する文章を読んだ。

情念の白い墓標(1) 仮名(かめい)の悲劇|入江哲朗 - webゲンロン

2012年公開のものだが、大変興味深く示唆に富む。田宮ドラマ版が手軽に視聴出来ないことが悔やまれる。医療、医師というものについて関心を持つのに、山崎の著書は今持って意義深い。