奥津城まで

所謂日記だ。ブログには何度もトライしては挫折してきた。出来ることなら長く続けたいと思い、上のようなブログ名にした所存。

深夜の非常放送

先般も書いたが、よんどころのない事情により年末に料理を振る舞わなければならないから、その勘を取り戻すために餃子を作った。皮はもちろん既製品だ。餡を用意する際、開始5分で既に飽きてきてしまった。白菜を微塵切りにするのに手が痛いのだ。これでは先が思いやられる。毎日家事をこなし、家族のために三食拵えてくれる家人の有り難さと凄さを感じずにはいられない。それでも材料を切り、挽肉と混ぜた。最後の難関は皮に餡を包む行程。二十五枚の皮といえども、これもまた飽きる。形は問わないでいただきたい。焼き上がりは、豚肉だから中まで火が通っていればいいだろうくらいの気持ちでいたら存外巧くいった。本番では、この倍以上の個数を作らなければならないのかと思うと、正直尻込みする。

話は時間を遡るが、昨夜は雪が降りたらしい。東北地方はもちろん、九州や四国でも結構な降雪があったそうだ。外出の際、国道を走っていたら、村の家々の屋根が、もう正午近くで晴れているというのにはっきりと白かった。仕方がないさ、師走たもの。

夜、『隠し砦の三悪人』を観る。

喜びに浸りながら見ていると、外でけたたましく、闇夜をつんざいて臨時の有線放送が鳴っていた。非常時、それも火事らしい。イヤフォンをして視聴していると、そんなことには直ぐには気付けない。23時を回った頃に漸く気づき作業着に着替え出動。我ながら健気なものだ。外はチラチラと雪が舞っている。

詰め所に到着すると既に鎮火したとのこと。深夜だというのに10人以上の班長、団員が待機していた。ご苦労なことである。総務担当が買い込んだという備品を開梱し、ゴミを処分していると現場に出張っていった団員らが帰投。特にホースなどの下ろして作業もなかったので未使用なのか。深夜0時近くなった頃に何となく解散。寒い中にいると鼻汁と咳が出て困る。副鼻腔炎の影響だ。イレギュラーな事態になり、変に神経が昂ると吐き気などもしてきて、精神が弱いというか、地元のヴォランティア活動ですらそうなのだから、兵役などこなせるわけがない。

帰宅したがあまり眠くない。歳のせいか眠らないと翌日身体に不調が出る。今回の火事は大事なさそうだが、自分はちょっとした外出にも心身の変調に過敏になっているここ数年だ。

皆さんもお元気で。